第6回 大洋&野口二郎 vs 名古屋&西沢道夫|「対決」で振り返るプロ野球史
世界最長、延長28回の激闘!「アメリカに勝った!」とファンは喜んだ。野口、西沢両投手で計655球!
延長28回のスコアボード
戦前のプロ野球は1939年から巨人が勝ち続けて41年まで3連覇。名実ともに「プロ野球の盟主」となった。41年のペナントレースは11月17日に終了したが、それから21日後の12月8日、日本はアメリカ、イギリスに宣戦布告、太平洋戦争が始まった。巨人はこの年初めて黒字となり(約800円)、前途に光明──と喜んだ矢先のことだった。 野球の生まれた国と戦争となっては、プロ野球の世界も困ってしまった。それまでは、大リーグが理想の野球だったが、もう口が裂けてもそんなことは言えない。すでに野球用語から英語が追放され、チーム名からカタカナ文字は消えていたが、さらに国策に、悪く言えば迎合するようなことをしなければならなくなった。そのひとつが手榴弾投げ選手。しかも、軍服を着て。42年3月1日の巨人-大洋オープン戦(後楽園)でのことだった。これには投手が一番迷惑した。重い手榴弾を最も遠くまで投げるのは投手たちだったが、肩を壊す危険が大きかった。 そんな中で、いくら投げてもピンピンしている頑丈な大洋の投手がいた。その名はエースの野口二郎。このタフな男は、それから3カ月近くあとの5月24日。「アメリカに勝つ!」大変なピッチングを見せたのである。 緒戦の連戦連勝に冷水を浴びせる、米空母から飛び立ったB25爆撃機16機の空襲(東京、京浜地方には13機)が行われたのが4月18日。日本軍は、ハワイは攻めたが、米本土まではとても手が届かない。それなのに米軍は、いとも簡単に日本本土を空襲。日本の陸海軍のショックは大きかった。 しかし、日本のプロ野球がそのショックを幾らかでも吹き払ってくれた(のではないかと筆者は思っている)。5月24日の大洋-名古屋戦(後楽園)で・・・
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週刊ベースボール