「どこにいるんだ、亮太…」 御嶽山の噴火で行方不明になった家族を探して10年 自費で捜索を続ける父と叔父の変わらぬ思い
楽しい思い出を作るはずが…足取りを追い続ける家族
野村さん家族にとって登山は身近なものでした。初めての登山は噴火の3年前。亮太さんは、父・敏明さんと叔父・正則さんの3人で富士山を訪れました。 正則さんが登山に誘うと付き合ってくれる優しい一面があったという亮太さん。普段は決しておしゃべりな方ではなかったそうですが、登山ではいろいろなことを話してくれたといいます。 10年前の御嶽山登山も楽しい思い出になるはずでしたが、その最中に噴火が発生し、亮太さんは行方不明に…。大切な家族を連れて帰るため、亮太さんの足取りを追う活動が始まりました。
噴火から2年後の2016年。当時は立ち入りが制限されていたため、写真や記憶を頼りにドローンで捜索が行われました。持っていたタオルやリュックなどが亮太さんが逃げたと思われるあと、一直線上に発見されており、見つかっていないのは、持ち主の亮太さんだけ。捜索を阻んでいた立ち入り規制は、2018年頃から徐々に緩和されていき、2020年には、亮太さんとはぐれた「八丁ダルミ」での捜索も、特別に許されるようになりました。
「あの時、亮太だったらどうやって逃げたのだろうか…」 2020年に行われた捜索では、あの日の亮太さんの影を追うように、岩場を懸命に走る正則さんの姿がありました。 亮太さんの叔父・野村正則さん(61): 「亮太は僕が連れて行ったから、なんとしてでも連れて帰ってやりたいという思いもあるし、亮太も絶対おじちゃんが戻ってきて連れて帰ってくれると思っているから」
正則さんの自宅には、亮太さんが幼い頃に描いた似顔絵や写真が飾られていて、2人の仲の良さがうかがえます。だからこそ「一日でも早く見つけてあげたい」という思いで、正則さんは今日まで捜索を続けてきたのです。
“被災者家族の会”は無念の捜索終了を発表するも…父は独自捜索を決断
今年7月。慰霊登山のために集まった被災者家族の中に、正則さんに声をかける男性がいました。噴火で息子を亡くした荒井寿雄さん(82)です。体力面に不安を抱えていましたが、慰霊登山のために日々トレーニングを重ね、「這ってでも息子に会いたい」と山頂を訪れました。当時の痛みを知る家族たちは、この10年で歳を重ね、高齢化が捜索を続ける上で不安材料となっていました。