バイデン大統領の変曲点と岸田首相の転換点【コラム】
大国の最高指導者が投げかける「一言」は、時に私たちの人生に決定的な影響を及ぼす。 米国の第46代大統領に就任したジョー・バイデン大統領は、1カ月後の2021年2月19日、欧州の安保問題を話し合うミュンヘン安全保障会議に出席した。この演説で世界の注目を集めたのは、「変曲点」(inflection point)という多少独特な言葉だった。バイデン大統領は現在、人類が民主主義と権威主義の「変曲点」の上にあるとし、「ローマ(イタリア)からリガ(ラトビア)まで欧州連合(EU)のパートナーと共に働く」と述べた。欧州を当方と先方(ロシア)に分け、今後本格化する「新冷戦」を予見したのだった。 この言葉を聞いて思わず思い浮かべたのは、75年前に行われたもう一つの演説だった。英国のウィンストン・チャーチル元首相(1874~1965)は1946年3月5日、米ミズーリ州ウェストミンスター大学で、第二次世界大戦以降ソ連が「バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステまで鉄のカーテンを下ろしている」と非難した。言及した都市名こそ違えど、75年の時差を置いてチャーチル元首相は「冷戦」、バイデン大統領は「新冷戦」と呼ばれる世界の分断を予言したわけだ。 二つの演説の違いは方向にあった。チャーチル元首相はソ連が先に「鉄のカーテン」を下ろしていると懸念したが、バイデン大統領は自身が先に中国とロシアに対し「民主主義のカーテン」を下ろすと宣言した。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が初めから民主主義を脅かす野心を持っていたのか、バイデン大統領のこの演説が「自己実現的な予言」になったのかはわからない。いずれにせよ、1年後の2022年2月24日、ロシアはウクライナに侵攻した。バイデン大統領は今月24日、自身の最後の国連総会演説でももう一度「変曲点」に触れ、民主主義陣営の団結を訴えた。 バイデン大統領が「変曲点」を取り上げたように、日本の岸田文雄首相は「歴史的転換点」という言葉を主に使ってきた。 就任1周年の演説のタイトルは「歴史の大きな転換点の上で―就任1年を振り返って」だった。 このような現実認識に基づいて岸田首相は「安保3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)」改正を通じて日本が朝中を直接打撃できる「反撃能力」を備えることを決め、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の「譲歩外交」の助けを借りて韓米日3カ国軍事協力の第一歩を踏み出すことに成功する。 変曲点のバイデン大統領は来年1月に、転換点の岸田首相は10月1日に石破茂新総裁に席を譲って退任する。言葉は人の認識を規定し、これを通じて現実を変える。言葉とは恐ろしいものだ。 キル・ユンヒョン論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )