元エンジニアが僧侶になり「寺院デジタル化エバンジェリスト」を名乗るまで セミナー参加者わずか5人から始まった挑戦 「サステナブルなお寺」を目指すなかで絶対に譲れないこと
結婚を機にエンジニアから転身し、長野県塩尻市にある浄土宗善立寺の副住職となった小路竜嗣さん。人口減や過疎化で存続の課題に向き合う全国の寺院のため、ITを活用した改革に取り組む。 【写真】参加者はたった5人…大スベりしたセミナー 墓地管理のデジタル化や寺報のウェブ発信から始まった挑戦は、今や寺院のデジタル教育へと発展。「人が人に伝える」という仏教の本質を守りながら、持続可能な寺院運営を目指す小路さんに聞いた。(聞き手 SDGs ACTION!編集部・池田美樹) ==================== 小路竜嗣(こうじ・りゅうじ) 信州大学大学院工学系研究科機械システム工学専攻を修了後、リコーに勤務。2011年に退職・出家し、2013年浄土宗大本山増上寺加行道場成満。2014年浄土宗善立寺に副住職として入山。2016年に寺院のIT啓蒙活動を開始する。浄土宗総合情報システム専門部会委員、浄土宗総合研究所研究スタッフ、大正大学地域構想研究所客員研究員。
結婚を機にエンジニアから僧侶へ
――僧侶になり、ITによる改革に取り組もうと思ったきっかけを教えてください。 私はもともとリコーというメーカーでエンジニアとして働いていたのですが、結婚を機に会社を辞めて、妻の実家であるお寺に入ったというのがきっかけです。僧侶になるまでは全く知らなかったのですが、お寺に入ってみたら事務仕事が多くて驚きました。 いまだにファクスを使っていたり、書類は手書きだったり。日本のお寺のほとんどは住職1人、もしくは住職の家族で支えています。つまり住職1人が24時間365日対応しなければならず、大変な業界です。 さらに今では、僧侶になって寺を存続させていこうという人が減っています。休みはないし、少なくなる収入で家族を養っていかなければいけない。このままでは50年後、100年後まで続けることは難しく、サステナブルではないということで、ITを使いたいと考えたんです。 お寺は、町や村があって、そこに人がいて初めて存続できるものなんです。過疎が進むと存続できなくなってしまう。町や村そのものがなくなってしまうと、私たちもなくなってしまうので、現在、全く持続可能ではない状況にあります。 多くの人が経験している「田舎に帰るとおばあちゃんの家があって、その近くにお寺がある」という状態が、今後数十年でなくなっていく。これは私の個人的で悲観的な予想ではなく、もう目前に迫る事実です。 それに、SDGsのDはデベロップメントですけど、お寺はデベロップメントもしない業界なんです。デベロップメントとは、1の資本に対して、開発することで2や3にしていくという考え方ですが、お寺は地域にあっていろんな方のお布施という寄付が収入なので、基本的には開発という考え方がない。例えば、最近、近所に新しくお寺ができたという話は聞かないでしょう。 ――お寺はこれまでどのように存続してきたのでしょうか。 江戸時代までは、お寺は市役所のようなものでした。1つの村に1つのお寺があって、今でいう住民台帳を管理していました。準公的な機関として運営していたので、潰れることはありませんでした。 さらに、お寺は寺領という土地を持っており、そこで小作人がお米を作ってお金に替えていました。大家としての収入もあったので、江戸時代までは非常に安定していました。 ところが明治維新で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)にあって、公的な機能が切り離されました。そこで初めて民間で運営しなければならなくなった。当時はまだ農地があったのでやっていけたのですが、次の危機は戦後の農地改革です。 「耕すところは耕した人のもの」となって、お寺は農地を持てなくなりました。境内は残りましたが、持っていた土地の面積が急速に小さくなって、不動産収入がなくなってしまった。そこで初めて、お葬式で収入を得なければいけないとか、宗教行為で収益を取らなければいけなくなったんです。 現在、都会のお寺は不動産価値が高い土地を持っているので、マンションなどを経営して運営しているところが多いですね。実は、そうしないとやっていけないという事情もあります。