全国で2番目に混雑する鉄道が開業100年 黄色い600形は廃車へ 「悲運の鉄道」は今、再開発ど真ん中の注目路線に
福岡鉄道史料保存会 吉富実理事長「太宰府・筥崎・宮地嶽の三社参りを宣伝して、昭和40年頃までは、お正月は三社参りの切符を売るとか、そういうことをして乗客を誘致していました」 ■恐慌と戦争で「悲運の鉄道」に 西鉄の元社員でもある吉富実さんによると、開業当初は壮大な計画があったそうだ。 福岡鉄道史料保存会 吉富実理事長「昔から、福岡と(炭鉱で栄えていた)飯塚を結ぶ鉄道計画は博多の財界の悲願だったので、飯塚まで伸ばすのが宮地岳線の最初の計画。ところが昭和の恐慌で頓挫をして。さらに、北九州の折尾と福岡を結ぶ急行電車の計画もあって、計画を昭和12年(1937年)に申請をしたんですが、半年後くらいで日中戦争がはじまって軍事目的以外の投資を抑制されたので結局なくなってしまいました。貝塚線は一人前にできないまま今まで来ている、ちょっとかわいそうな路線であります。そういう意味では悲運の鉄道なんです」 その後1979年、福岡市内を走る電車の廃止に合わせて千鳥橋~貝塚間の福岡市内への乗り入れ区間が廃止。採算ラインの半分程度の利用しかない状態が続いていた西鉄新宮~津屋崎間も2007年に廃止され、路線の名称は現在の「貝塚線」に変更された。 ■利用者が増加に転じた「再開発」の波 一方、貝塚線の沿線では1990年代初頭から都市開発計画が進み、人口が増えている。香椎地区を副都心に、という福岡市の計画の一環で、東区の千早から西鉄香椎駅前までの約1.3キロが高架化された。住環境が向上したことで、周辺には多くのマンションが建設され、特に千早駅周辺はファミリー層を中心に人口が増加し、西鉄千早駅の乗降者数は1日平均6055人と、高架化された2006年から倍増している。 千早駅周辺の住民「住みやすいです。西鉄もJRもあるから便利です。すぐ天神にも博多にも行けるから。」 千早駅周辺の住民「子供がいてもすごしやすいですね。西鉄貝塚線は乗りやすくて、よく使ってます。」 千早駅前の「スポーツガーデン香椎」跡地には、民間が運営する公園を併設した複合商業施設「ガーデンズ千早」もオープンし、多くの人で賑わっている。