【ネタバレレビュー】現代に描かれた「七夕の国」が突きつけたメッセージ「いまだからこそ染み入る、最終話のナン丸の言葉」
ディズニープラス「スター」で独占配信中の、「寄生獣」や「ヒストリエ」などで知られる漫画家・岩明均の怪作を実写ドラマ化した「七夕の国」がついに最終回を迎えた。本作では、 “念力で物に小さな穴をあける”というなんの役に立たない超能力を持つ大学生のナン丸(細田佳央太)が、調査旅行中に行方をくらませた民俗学教授、丸神正美(三上博史)の消息を追ううちに、街や人をも丸くエグってしまう恐ろしい“球体”をめぐる事件解明に巻き込まれていく姿を描きだしてきた。回を追うごとに散りばめられた伏線が回収され、 球体=“窓の外”を作りだす能力を持つ“手が届く者”、ある悪夢を見る“窓を開いた者”が生まれる“丸神の里”で、徐々に真相が明らかにされていく様に多くの視聴者がクギ付けとなった。 【写真を見る】ほぼ素顔を見せずに頼之を演じきった山田孝之「声と佇まいだけでお芝居を成立させている」 秀逸なミステリー要素と共に見どころなのが、楽観的で、自身が持つ能力をどうやって就職に活かせるか?といったことばかりに興味を持っていたナン丸が、しきたりに捉われた里の者たち、 “窓を開いた者”である幸子(藤野涼子)や、東京で球体を用いた殺人事件や破壊行為を行うかつての神官、丸神頼之(山田孝之)らと関わり、等身大の若者なりの“答え”を見つけていく姿をはじめとした、それぞれのキャラクターにおける奥深い人物描写や、生き方における哲学を突き付けるようなメッセージだ。 これまでMOVIE WALKER PRESSでは本作の全話レビューをお届けしてきたが、最終回はレビューを執筆してきたライター陣と編集部員による座談会形式でお届け。監督やキャストへのインタビューも担当したライターのイソガイマサト、SF作品やVFX、特殊メイク表現などに精通する神武団四郎、今回のドラマ化を機に初めて「七夕の国」に触れたMOVIE WALKER PRESS編集部員の別所樹が、最終回で頼之の真の目的を知ったナン丸が導きだす答え、より深く人間性を深堀りされたキャラクター描写や、メッセージ性に対する想いを語り合った。 ※本記事は、ネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)を含みます。未見の方はご注意ください。 ■「連載当時ならではの描写を、現代的に翻訳する仕方もうまかった」(神武) イソガイ「まずは『七夕の国』全10話を観た率直な感想から始めましょう」 神武「僕は原作コミックよりドラマチックになっていると思いました。ナン丸はもちろん、ほかのキャラクターもうまい具合に膨らませて、それぞれの見せ場を作っていたし、最初のほうは謎解きを主軸に話を進めていく印象でしたけど、人間関係もかなり突っ込んでいたので、そこがすごくおもしろかったですね」 別所「私はドラマ配信前に初めて原作漫画を読んだのですが、謎解きを中心にしながらも、ライトに読み進められるエンタテインメント作品だと思いましたが、神武さんがいま言われたように、実写版は人間ドラマがより掘り下げられていて、号泣してしまったシーンもありました。しかも第1話から“つかみ”がうまかったので、一気に物語に引き込まれましたね。里の秘密を少しずつ解いていく展開は、まるで丸神ゼミの講義を受けているようでしたし、登場人物と一緒に納得しながら楽しむことができました」 イソガイ「僕はもともと原作を読んでいて、本当に忠実に丁寧に作られているなと思いました。例えば別所さんが言っていた第1話では、遥か昔に丸神の里で行われた合戦の様子が描かれていましたが、現代パートを挟んでからラストに丸神の里の当主の手がクローズアップされて、その異様な造形に『なんだこれは!?』となりますよね。こんなふうに毎話ラストで気になることが起きて、視聴者の期待を煽りながら次の回につなげていく構成も絶妙でしたし、それでいて全10話で完結するボリュームもちょうどいいなと思いました」 神武「たしかにそうですね。ちなみに、岩明均さんが原作のコミックを描かれたのはいつごろでしたっけ?」 別所「1996年から99年にかけて連載されていましたね」 神武「そうですよね。原作が書かれた当時の時代を反映した描写を、ドラマ化において現代的に翻訳する仕方もすごくうまかった。上杉柊平さんが演じる幸子の兄、高志が行う新技能啓発セミナーの描写も、2024年のいまの時代にも“こういう怪しげなセミナーってよくあるよね”と思えるものだったり」 別所「ナン丸が所属している新技能開拓研究会も、フォロワーの少ないSNSアカウントを作っていたり(笑)」 イソガイ「そこにリアリティが感じられないと、不可思議なことが起きても驚けないですからね」 神武「ナン丸が超能力を使って紙に穴を空ける時の『ちょわあああ!』の叫び声も意外にハマっていました(笑)」 別所「あの言い方は最高です!」 神武「『原作のイメージそのままじゃん!』って思いつつ、観ちゃいましたよ(笑)。キャスティングもよかったですね」 イソガイ「ナン丸を演じた細田さんもピッタリでした。原作のよさを残しつつ、現代の若者らしいキャラクターになっていましたからね」 別所「ナン丸のキャラクターでいうと、彼はせっかくの超能力を全然活用できなくて、フラストレーションを抱えていたと思うんですよ。でも、高志に使い方を教えてもらって、あのセミナーで披露した時に初めて“人に認められる”喜びを感じたんじゃないですかね。その気持ちにはすごく共感したし、それを味わわせてくれたのは高志だから、彼が詐欺や悪いことをしても最後まで憎みきれなかったんじゃないかなとも思いました」 神武「僕はナン丸から決別を切りだされた時の高志のリアクションが好きでしたね。原作よりさらに危険で怖いキャラクターになっていたから、キレるのかな?って思ったんですけど、ふてくされて『出てけ!』って言いますよね。あの感じがなかなかよくて。上杉さんが、回を重ねるごとに実は人間臭い高志を巧みに表現しているのがすばらしいと思いました」 別所「頼之の前だと子どもっぽくなって、どんどん調子に乗るあたりもおもしろかったですね(笑)」 ■「藤野さんの演技がすごくよくて、あのシーンは何回観ても泣いてしまいます」(別所) イソガイ「キーパソンの幸子はどうでした?」 別所「実は先ほど言った号泣したシーンというのが、幸子が竹林で、兄の高志の遺体に対面するところなんです。幸子を演じた藤野さんの演技がすごくいいから、何回観ても泣いてしまいます。あの慟哭には心をエグられますね」 神武「原作より、宿命を背負っている感じが強くてよかったですね」 別所「幸子は自分の宿命に対して“諦めている”感じがしましたね。その雰囲気をずっとまとい続けている藤野さんはスゴいと思いました」 イソガイ「藤野さんは最初、もう少し原作に寄せて、コミカルな感じも出そうとしたみたいなんですけど、そうするとラストにうまくつながらないので、瀧悠輔監督が感情を抑える演出を徹底させたみたいです」 神武「あっ、なるほど。そういうことだったんですね。それで言うと、ドラマも全体的にコミカルな味は抑えられていて、それがプラスに働いていたような気がします」 別所「原作ではちょっと楽観的すぎるな、みたいなところもあったけれど、ドラマではそこに現実味があって。アドリブかどうかわからないですが、丸神ゼミ生の多賀谷と桜木を演じた濱田龍臣さん、西畑澪花さんや、亜紀役の鳴海唯さんなど、学生役の人たちのわちゃわちゃした空気感も、すごくナチュラルでした」 イソガイ「丸神ゼミの講師、江見役の木竜麻生さんが現場のムードメーカーで、それでみんなの距離が縮まったみたいです」 神武「江見先生もよかったですね。一途な想いも原作より強く出ていて、いじらしい感じがしました」 ■「球体は、私たちが振り回されがちなSNSや膨大な情報のメタファーのような気がする」(イソガイ) イソガイ「新技能開拓研究会と丸神ゼミのシーンでナン丸のキャラクターがわかったし、ドラマの世界に入りやすくなりましたね。ナン丸の印象的なシーンでいうと、やはり最終回で幸子が頼之と共に窓の外へ行こうとした時、『わからないけれど、気に入らないから邪魔をしている』みたいなことを口走っていたところでしょうか」 別所「必死に2人を説得しながら、『なに言ってるんだ、俺は?』みたいな、自分の言葉に突っ込んでしまうような、主人公らしからぬセリフにも逆に親しみが持てました」 イソガイ「いやあ、あの時のナン丸はめちゃくちゃだけど、幸子をなにがなんでも止めたいと思っている気持ちは純粋で嘘がないし、そのために発する言葉の数々は極端だけど心から思っていることだから強いですよね」 別所「ドラマは現代の人たちにも通じるようにうまく作り変えられているという話を最初にしましたけど、原作の根底に流れるテーマや本作が訴えかけるメッセージは“いま”だからこそ、より染み入るような気がします。それこそ、『世界中のことをネットやテレビでわかった気になっているけど、世界は目で見えてる大きさの百倍も千倍も広いんだぜ!それに比べりゃ、派手な超能力も小せえよ!』っていう、あのナン丸のセリフもほとんど90年代に描かれた原作どおりなんですよね。でも、あの言葉のほうが、SNSの情報に振り回されているいまの人たちには逆に響くかもしれない。情報過多な現代は、自分が選び取った情報だけに意識が向いていたり、ネットの中が世界のすべてと捉えて可能性を潰してしまっている人も多いような気がしますからね」 イソガイ「ナン丸や頼之が特殊な能力で出現させる球体は、私たちが囚われたり、振り回されがちなSNSや膨大な情報のメタファーのような気がする。それを90年代に描いた岩明先生はスゴいですよ。『この(物を破壊する特殊な)能力はあくまで道具であって、目的そのものじゃない』とナン丸に言わせていて、ドラマでも細田さんが強く訴えるけど、ナン丸の能力はSNSやどんどん進化して便利になるテクノロジーと置き換えることができますよね。『そんなものに人間さまが振り回されてちゃいかんのです』と彼に言われて、ちょっとドキっとしました」 神武「本作のベースになっているのは、伝統を守ろうとする人たちとそれを壊そうとする人たちの話ですが、どちらも内向きで周囲の声に耳を貸さない。ナン丸のように、フラットな立場で、偏ることなく情報に接するスタンスも必要かもしれないですね。ナン丸が、念じるだけで物を破壊できる強大な能力を封印し、対面で人と人をつなぐフィジカルな仕事を立ち上げるドラマ版の結末も、いまの時代ならではだと思いました」 ■「民間伝承にまつわる出来事を、SFっぽい設定で描いているのがおもしろい」(イソガイ) 別所「丸神の里と呼ばれている丸川町の人々には、どんな印象を持ちましたか?」 イソガイ「個人的には、不穏な空気を出しているあの町の人たちには、同じくスター作品である『ガンニバル』に登場する、供花村の村人たちが重なりました」 別所「でも、『ガンニバル』しかり、“ムラもの”と呼ばれる作品に登場する村人たちは、なにかしらの悪意を持って行動している気がするんです。ただ丸川町の人たちは悪意では行動していないじゃないですか。彼らは自分たちの掟が絶対に正しいと思っていて、その考えが揺るがない。“カササギ”による洗脳度の強さや、神のように信仰する町民たちの盲目的な感じが、『ガンニバル』の村人たちよりも私はある意味で怖く感じました」 イソガイ「田舎には古くから伝わるお祭りや信仰があって、それを守ろうとする村人たちと移住者との間に摩擦や衝突が起こるという話をよく聞きます。本作はそんな昔からある民間伝承にまつわる出来事を、SFっぽい設定で描いているのがおもしろいんですよね」 神武「狂信的でなくても、信仰や伝統を守る人は守るし、そうじゃない人もいる。そこは我々の社会でも同じだと思うんですよね。お盆になるとちゃんと墓参りをしたり、お供えをする人もいるけれど、そこをあんまり気にしない僕みたいな人間もいる(笑)。そんな価値観の違いみたいなものも、本作の設定にはうまく組み込まれている感じはします」 ■「山田さんは、ただ立っているだけなのに気持ちが伝わってきます」(神武) イソガイ「そんな丸神の里の信仰心を絶対的なものにしている中心人物が、丸神頼之です。原作そのままのビジュアルで登場しますが、特殊造形のマスクを被っているから演じている山田孝之さんの顔はほぼ観ることができません」 神武「頼之のデザインはけっこう原作を尊重したものになっていたし、そこに瀧監督のこだわりを感じました。CGで眼球を動かしたり、瞬きをさせているのもよかったですね」 別所「高志が死ぬシーンでも、目を伏せた表情から悲しみが表情が伝わってきたし、声と佇まいだけでお芝居を成立させている山田さんは改めてスゴいと思いました」 神武「ただ立っているだけなのに気持ちが伝わってきます。あの山田さんのオーラはなんなんでしょうね!」 イソガイ「頼之も最後まで迷っていたような気がします。でも、最終的にはああいった選択をするわけですが、頼之の心情や行動についてはどう思いました?」 神武「僕はドラマを観る直前に原作を読んだんですけど、その時は頼之のキャラクターが理解しきれなくて。なにかに縛られていて、そこから脱しようとしている人ということは把握できたものの、そこまで感情移入できなかったんです。でも、原作にはない幸子たちの母親、朝比奈彩さん演じる由紀子が登場する回想シーンで、素顔に近い頼之を見た時に彼の個人的な気持ちが伝わってきて“ああ、なるほど”って思えたんですよ」 イソガイ「あの回想シーンはラストの伏線にもなっているし…」 別所「頼之という人を理解するうえでもいいシーンですよね。彼は原作でももちろんただの悪役ではなかったけれど、ドラマでは人間らしさがより際立っていて。クライマックスの“窓の外”に行く直前にも、頼之の脳裏に由紀子の顔がフラッシュバックしますが、あのシーンがあることで頼之という人間の見方が変わって、感情移入ができるのがいいなと思いました」 神武「そうですね。原作のラストはどこか“鎖を解き放つ”というところに特化していた印象でしたけれど、“窓の外”に行けば由紀子に会えるんじゃないか?というほのかな期待があるから、そのうえでああいう決断をしたのかもしれない。それを山田さんがうまく表現していたような気がします」 ■「織姫と彦星のようなカップルたちがそれぞれの結末を迎えていて、本作にふさわしい見どころでした」(別所) イソガイ「タイトルの『七夕』を連想させる、ロマンチックな要素もドラマは原作より強くなった気がします」 別所「会いたいけれど、会えない。結ばれたいけれど、結ばれない関係性の人たちがほかにも出てきましたからね」 イソガイ「それこそ、ナン丸が幸子に言う『君のいる手前にモヤみたいなものがあるんだよ』というセリフは天の川を連想させます」 別所「私は最終話を観た時に、“これがナン丸と幸子の幸せの形なの?”とも思ってしまいました。幸子は丸川町を結局出ないし、ナン丸は七夕の彦星のように丸川町に通うような関係で終わっていましたからね」 神武「原作でもなんの説明もないし、ナン丸は東京に生活の拠点があるみたいですしね」 イソガイ「ナン丸は七夕の時しか会いに行かないんですかね?」 別所「もっと会ってはいるかもしれないけれど、一緒に暮らす選択はしなかったんでしょうね。結局は丸神の里でも祭りは続き、“カササギ”を待ち続ける…簡単には人々は変わることができなかったですし」 神武「ただ、2人ともまだ若いから、これから関係性も変わっていくかもしれません。未来に可能性を残しているとも考えられますね」 イソガイ「ナン丸たちとは対照的に、江見先生は結婚はしないまでも、丸神教授が住む丸川町に引っ越していたのもよかったですね。江見先生らしいと思いました(笑)」 別所「そういう意味では、織姫と彦星のような関係の3組のカップル、ナン丸と幸子、丸神教授と江見先生、頼之と由紀子がそれぞれの結末を迎えていて、そこも『七夕の国』という作品にふさわしい見どころだったなと思います」 構成・文/イソガイマサト