モーリーの指摘。猛暑のニュースと「環境問題」を切り離す日本の不思議
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、日本のメディアや政治の気候変動問題に対する「鈍さ」を指摘する。 * * * 今年の夏も、猛暑や台風被害などの報道が「異常気象」の文脈で連日、大量投下されました。しかし、それが現在進行中の気候変動の結果であることが、報道の中で強調されるケースは極めて少ない。明らかにバランスを欠いています。 私の実体験としても、そういったニュースアイテムを扱うテレビ番組に出演する際は、温暖化とその対策について極力触れようと心がけてきました。しかし多くの場合、打ち合わせ段階から制作陣の反応は薄く、それどころか場合によっては温暖化懐疑論を語る識者やコメンテーターが存在感を発揮するような雰囲気になることすらあり、問題の根は深いという実感を持っています。 言うまでもなく、気候変動は全地球的な問題です。この9月に限っても、中国やベトナムを「10年に一度」の災害級の台風が襲い(今後は10年に一度では済まなくなるでしょう)、アメリカのカリフォルニア州では山火事が猛威を振るいました。 特に欧米では気候変動に対する関心が年々高まっており、特にZ世代は環境問題を、貧困、教育格差、人権といった社会課題と関連づけてとらえ(この考え方がSDGsのベースです)、意識のアップデートを呼びかけています。保守層がSDGs的な価値観を嫌う傾向にあるのはどの国でも同じですが、グローバルレベルの大きな流れとして、民意の軸は着実にSDGsへとシフトしています。 もちろん日本がその流れから完全に外れているわけではないのですが、かなり温度差があるのも事実です。最大の違いは、ひと言で言うなら「当事者性」ではないでしょうか。 メディアが環境問題を取り上げる際は、高齢層を中心とする視聴者・読者が「引かない」ように、当事者性を極力感じさせない報道に終始する。民間企業も、抽象的にSDGsをうたうことばかりが目的化し、本質的な環境改善に取り組むこと、その必要性と方法を科学的な態度で訴えることからは逃げている。 そして政治も、現状維持に重きを置き、抜本的な環境対策を掲げないどころか、それを政治的なイシューにしないよう振る舞っているようにさえ感じます。メディアや企業、政治の現状維持優先の姿勢は、視聴者・消費者・国民が変わらない限り、ずっと続くでしょう。深刻な問題であると誰もが認識しつつも、改善しようという大きなムーブメントは生まれず、Z世代も「大人に消費される」だけの存在で居続けるでしょう。 そもそも日本が本気でCO2削減に乗り出すなら、レジ袋やエアコンの温度設定といった話以前に、火力発電を減らすための原発再稼働の議論は避けられません。しかし、原発というイシューが右派と左派の象徴的な対立軸になっているという日本ならではの"お家事情"を本気で打ち破ろうとする動きはなく、まともな議論の俎上(そじょう)に載らない。 これは権力者やメディアだけの責任ではなく、端的に言えばひとりひとりの意識、当事者性の問題でもあります。地球規模の環境問題や貧困問題に対し、自分はなんら影響を及ぼすことができないという無力感が日本ではとても強い。しかし、少なくとも若い世代には、本質的な動機から論理的に正しいアクションを起こす他者を嗤(わら)ってほしくはありません。 「考える人」の母数が増えていけば、社会課題はドラスティックに動きます。世界の問題に対して自分がどう関与するかを、既存の理屈や蔓延(まんえん)する無力感にとらわれず、情報をきちんと咀嚼(そしゃく)して「考える」ことが、現状維持を是とする人々への最大のカウンターになるはずです。