おじさんにそっくり! 長年愛される「博多ぶらぶら」の包装紙の由来
「うふふ。おじさんにそっくり!」。1972年春。福岡市の繁華街・天神の店先で、新作菓子の包装紙のイラストを見た高校生たちは店の菓子職人の顔と見比べ、そう言って笑顔を見せた。「この菓子は受け入れてもらえる」。職人が確信した忘れられない出来事だ。 【写真で見る】「左衛門」の本部・工場に併設された直売所 その菓子は「博多菓匠『左衛門』」の「博多ぶらぶら」で、くだんの職人で現会長の田中治雄さん(85)が考案した。創業者から「全国の小豆あんと餅を使った菓子を研究し、名物になる新作を」と頼まれた。ほんのり塩がきいた北海道産小豆のこしあんと、佐賀県産ひよく米で作った求肥(ぎゅうひ)を合わせ、食感にもこだわった一品は完成に約10年を要した。 包装紙に描かれた太眉と垂れ目の顔は、田中さんがモデル。博多どんたく港まつりの起源とされる「博多松囃子(まつばやし)」で街を巡り、くぐると無病息災の御利益があるとされる傘鉾(かさぼこ)がモチーフで、田中さんは「菓子を手土産に、博多の街をぶらぶら歩いて」との思いを商品名に込めた。 「和菓子らしからぬ名前」との批判もあったが、当時珍しかった動画のテレビCMも話題を呼び、77年には全国菓子大博覧会で内閣総理大臣賞に輝いた。誕生から半世紀を経て、田中さんは「いい水と自然から生まれる菓子が長く親しまれてうれしい」とにっこり。 3代目の田中好治(こうじ)代表(61)においしい食べ方を聞いた。皿や菓子切りを使うよりは、両手で紙の両端をつまんでそっと持ち上げ、少し吸うようにして一口で、難しければ数回に分けるといい。好治さんは「和菓子を囲み、分け合えば自然に笑顔が生まれる。そんな場面にある菓子を作り続けたい」と語った。【田後真里】 ◇博多菓匠「左衛門」 本部・工場、直売所は福岡県古賀市鹿部(ししぶ)335の19。1929(昭和4)年創業。初代の田中三好(みよし)は元浪曲師で、演目「勧進帳」の登場人物などが屋号の由来となった。「博多ぶらぶら」は6個入り972円、15個入り2430円ほか。