JリーグMVP初受賞の小林悠を支えた美人妻「悔しいとき一緒に泣いた」
責任感が誰よりも強く、体に負荷がかかる場面で余計に頑張ってしまうがゆえに故障を繰り返してきた。拓殖大学4年になったばかりの2009年4月に卒業後の川崎入りが決まったが、その年の秋に右ひざの前十字じん帯を断裂。担当スカウトに涙声で電話を入れた。 「契約が取り消しになったりはしないでしょうか……」 電話越しに「サッカーにけがはつきもの。ウチは大丈夫だから」と言われてまた号泣。ルーキーイヤーの大半はリハビリに費やされたが、2年目の2011シーズンから、自分をあえて追い込む意味も込めて、ちょうど空き番になった、いま現在も背負う「11番」に背番号を変更した。 迎えた2年目のオフ。背番号にちなんだ2012年1月11日に結婚したのが、同年齢の直子さんだった。大学時代から約4年間の交際を実らせてのゴールイン。入団前年の大けがで、小林が打ちひしがれた時期ももちろん知っている。 プロになっても故障禍は続いた。異能と形容してもいい得点感覚が日本代表の指揮官にも評価され、アルベルト・ザッケローニ元監督からは代表候補合宿、ハビエル・アギーレ前監督からは代表合宿に招集されたが、ともに練習中にけがを負って離脱を余儀なくされた。 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の初陣となった2015年3月も、メンバーに選考されながら直後のリーグ戦で右太もも裏に肉離れを起こしてしまう。代表辞退を決断した直後に更新されたブログの文面からは、いつしか「ガラスのエース」と揶揄された小林の断腸の思いが痛いほどに伝わってくる。 「誰かが言っていました。『神様は乗り越えられる人にしか試練を与えないんだよ』と。神様に言いたい。何回目だよ!そんな俺強くないわ!笑」 この年は5月に右ひざにメスを入れ、7月に復帰したかと思えば、今度は右ふくらはぎに肉離れを起こし、2年目以降では自己ワーストタイの5ゴールに終わった。胸中に募らせた悔しさを、しかし、直子さんが常に共有することで半分にしてくれた。 大宮戦後の取材エリアで、小林は目をやや潤ませながら直子さんに感謝している。 「代表合宿中もそうだし、シーズン中も体にすごく気を使っているのにけがをすると本当に悔しくて。家へ帰って奥さんの顔を見ると申し訳ない気持ちになって、涙が出ちゃうときもあったんですけど、そこで奥さんは一緒に泣いて、乗り越えようとしてくれました」