「景色が大きく傾いた」106歳の現役理容師、強烈な印象残る100年前の大震災 #災害に備える
「母ちゃんと死んでくれる?」
夫婦で守ってきた理髪店も、結局は空襲で焼け、栃木県那珂川町の実家に戻った。夫は終戦後も帰って来なかったが、「必ず戻ってくれる」と信じていた。知り合いの中には、数年後になって夫が戻った人もいたからだ。 「戦死」の連絡が国から届いたのは8年後の1953年。ショックは大きく、自暴自棄になって娘に尋ねた。「母ちゃんと死んでくれる?」 娘は「お母ちゃんと一緒ならいいよ」と言ってくれた。ネズミ用の強力な毒を用意し、学校にいる息子の帰りを待った。 ところが、帰ってきた息子は「絶対にいやだ」と泣き出した。家を飛び出した息子から話を聞いた親戚が駆け付け、毒を取り上げられた。
思い出したのは、夫の最後の言葉
その後もしばらくは何をする気力も出ず、ふさぎ込んだ。部屋の明かりもつけず、夫と出かけたことや会話を一つ一つ思い出す。最後の会話は招集後、配属された部隊がある千葉県に1人で面会に行った時のことだ。 シツイさんは思わずはっとなった。夫はその時「子どもたちをよろしく頼む」と言っていた 。 「このままじゃ、子どもたちのためにも良くない」 実家の近所に理髪店を開いた。すると、「東京で培った最先端の技術」で髪を切ってもらおうと、行列ができた。やがて女手一つで育てた子ども2人は大人になり、やがて孫やひ孫も生まれた。それでも毎日のように店に立った。
東日本大震災、思い出した恐怖
2011年3月11日、シツイさんは94歳になっていた。居間でくつろいでいると、強烈な揺れが襲った。東日本大震災だ。栃木県でも震度6弱の揺れを記録。すぐに幼い頃の記憶がよみがえった。 「関東大震災を思い出した」。あの時のような大きな被害が出ないで欲しいと祈ったが、深刻な状況がテレビや新聞で明らかになっていく。 当時は一人暮らし。近所に住むめいが訪ねてきてくれて、二人で無事を確かめあった。あまりの怖さに、しばらくはお互いの家を泊まり合った。 二度の大震災を経験したシツイさんは、こう感じたという。 「災害は本当に忘れたころにやってくる 」