「奄美にあるハブ屋」が3世代に渡って続く背景。時流読み変化続けるハブ屋のビジネス
「ショーは、ホテルに勤めていた友人から結婚式や本土から来た学校の先生の歓迎会でハブを見せてもらえないかと言われて始めました。好評だったし、1回の出張費も少しずつ上がっていったけれども、外にハブを持ち出して逃げたりしたら危ない。それで出張はやめて、1989年から原ハブ屋のガレージでショーをするようになりました」(2代目・武広さん) ■観光客から人気を集めたハブショー ショーは1回30分。ハブを殺すのは嫌だった、という武広さんはマングースを使わず、ハブやほかのヘビだけを使って奄美の自然や文化を楽しく学べる内容を考えた。武広さんの軽妙なトークで、ショーは次第に観光客や帰省客の人気を集めるようになった。
その後、武広さんは卸を継続しながらも、自社商品を自分たちで販売する製造小売業への転換を目指す。奄美市中心部の店を奄美空港から車で10分ほどの同市笠利に移転することを決め、新店舗の建設を始めた。 ところが、新店舗建設のための借り入れを機に、店の経営状態が悪化した。武広さんがSOSを出したのは大学を卒業して福岡で働いていた長男、武臣さんだった。 後編:「奄美にあるハブ屋」使用禁止Xデーに向けた対策
横山 瑠美 :ライター・ブックライター