楳図さんとの縁橋本の宝、まことちゃん像「今後も大事に」
「おろち」「漂流教室」など恐怖漫画の第一人者で、ギャグ漫画でも「まことちゃん」を大ヒットさせ、88歳で亡くなった漫画家の楳図かずおさんは、和歌山県橋本市と縁が深い。JR・南海橋本駅前にある「まことちゃん」の像は、地元の人たちから愛されている。ゆかりの人が楳図さんを悼んだ。(清水美穂) 楳図さんは高野町で生まれ、奈良県五條市で育ち、20歳代後半までを過ごした。その時、隣町の橋本市まで散歩しながら、漫画のアイデアを練っていたという。1956年の市の広報誌には「オテンバ日記」という4コマ漫画が掲載された。 【写真】サイン本を手に、楳図さんとの思い出を語る豊沢さん(和歌山県橋本市で)
「漫画家の大先生という堅苦しさはなく、気さくな人だった」と橋本商工会議所元事務局長の豊沢康範さん(65)は振り返る。豊沢さんは、橋本市内の喫茶店で楳図さんの姿を何度か見かけたことがあり、JR・南海橋本駅前の商店街を盛り上げようとイベントを企画した際、楳図さんにゲスト出演を打診した。 2002年に行われたイベントに楳図さんはトレードマークの赤と白のボーダーTシャツ姿で参加。トークショーに臨み、終了後は一人ひとりにサインをしてくれた。楳図さんの似顔絵や、「まことちゃん」のセリフの「グワシ!」と書かれたサイン本は、豊沢さんの宝物だ。豊沢さんは「子どもの頃、楳図さんの漫画を毎週読むのが楽しみだった。作品は本当に怖くて、夜にトイレに行けなかったくらい」と懐かしむ。
このイベントを主催する市民団体で代表を務めた梶川重遠さん(68)も「人気が出てもおごらず、いつも笑顔だった。友好的な人だった」と話す。 駅前のまことちゃん像は、イベントの打ち合わせの際、豊沢さんや梶川さんらが楳図さんに設置を提案して了承をもらい、同年に設置された。まことちゃんの足元にあるカレンダーは毎日、通行人の誰かが日付を合わせてくれる。全国からファンが訪れたという。楳図さんの悲報が広まった5日は、像の横に紫やピンクの花が添えられていた。 豊沢さんは「像は、楳図さんが残してくれた地域の宝だ。これからも大事にしていきたい」と話した。