久保建英がイニエスタの前で決めたJ1初ゴールの裏にあったもう一つの戦い
バルセロナが犯した18歳未満の外国人選手獲得及び登録違反の煽りを食らう形で、公式戦の出場停止処分が続いていた久保は2015年春に、約3年半所属した下部組織のカンテラを退団。無念の帰国を余儀なくされた直後から所属してきたFC東京を、不退転の決意とともに10日前に飛び出した。 中学年代のU-15むさしから高校年代のU-18、そして16歳だった昨年11月に結んだプロ契約と、同世代のライバルたちより一歩も二歩も先を走らせてくれたFC東京には感謝している。しかし、今シーズンのJ1ではすべて途中出場で、プレー時間も58分間にとどまっていた。 しかも、4月14日のセレッソ大阪戦で12分間プレーしたのを最後に、5月に入るとベンチ入りメンバーからも外れてしまう。今シーズンからFC東京を率いる長谷川健太監督(52)は、攻撃の選手たちにもハードワークと泥臭い守備を求める。久保はそのレベルに達していなかった。 長い目で見れば、いま現在の自分に足りない守備とハードワーク、そしてオフ・ザ・ボールの動きを長谷川監督のもとで学ぶ地道な作業が今後へのプラスになるはずだ。しかし、高く跳び上がるためにあえて低く屈む時期、たとえるなら「急がば回れ」を久保はよしとしなかった。 最終的に下した決断は、ボールをもって前を向けば相手に怖さを与えられる、自身のストロングポイントをとことん磨くこと。理想に最も合致したチームがアンジェ・ポステコグルー新監督(53)の下でボールポゼッションを高め、パスを徹底的に繋ぐ攻撃的なスタイルに転じたマリノスだった。 「自分が新たな決断を下して、それで結果が出なかったら『何だ、やっぱりダメじゃん』と言われるのが明らかだったので。まず結果を出せて自分もホッとしているし、自分を応援してくれている人たちもいい気持ちになれたと思うので、それは本当に嬉しいです」 自信はあっても、最初に記憶と記録に残る結果を出すまでは不安も感じていたのだろう。自分が選んだ道は間違っていなかったと、一刻も早く証明することへのプレッシャーが生じていたことが、久保の口を突いた「ホッとしている」という言葉からもわかる。