久保建英がイニエスタの前で決めたJ1初ゴールの裏にあったもう一つの戦い
さらにもうひとつ。直近の6試合で1勝5敗と黒星がかさみ、熾烈なJ1残留争いにマリノスが巻き込まれつつあることもわかっていた。勝ち点3がどうしても必要な状況で、鹿島アントラーズに敗れた前節はベンチのまま90分間を終えた久保を、ポステコグルー監督は先発として抜擢した。 大きな期待と厚い信頼を感じたからこそ、ゴールを決めた直後の久保はベンチ前で喜びを爆発させていた指揮官のもとへ、笑顔を弾けさせながら必死にダッシュ。最後は胸のなかへ飛び込んだ。 「ゴールを決めたら、監督のところへ行こうと決めていました。こういう難しい時期に、(FC東京で)全然試合に絡んでいなかった自分を本当に快く受け入れてくれた。監督に感謝しているし、その気持ちを伝えたかったので」 試合後の取材エリアで対応しているときに、イニエスタが背後を通過していった。出場6試合目にして初めて通訳を介して「ノーコメント」と言い残し、スタジアムを後にしたレジェンドに対して、実は心苦しい思いを抱いていたと久保は明かす。 「イニエスタ選手は長年バルセロナのトップチームでやってこられて、自分はちょっと下部組織をかじったくらいですし、そこで元バルセロナ対決と言われても何かおこがましいというか、天と地ほどの差があると思っているので。その差を今日のゴールで、1ミリでも埋められたら」 久保が決めた待望の初ゴールは、3つのプレッシャーを乗り越えさせた。プレッシャーを感じる対象は自身が下した決断とマリノスが置かれた窮状、そしていまも眩いイニエスタの存在感となる。 「前半は1、2回くらいしかいい形で攻撃に絡めていなかったけど、ゴールを決めた後は何か体も軽くなって、元気が出てきました。こういう試合で結果を残せたのは、何かサッカーの神様がいるんじゃないかと思いました」 バルセロナが認めた逸材という、好奇の視線を伴った期待感からもちょっとだけ解放されたからか。取材を終えた久保はおもむろに立ち止まり、あることを要望して周囲を笑わせている。 「これからは久保クンじゃなく、久保建英でお願いします」 もう子どものように「クンづけ」で呼んでほしくない、という切実な思いが伝わってきた。2004年の森本貴幸(当時・東京ヴェルディ)の15歳11ヵ月28日に次ぐ、17歳2ヵ月22日の史上2位の年少ゴール記録を打ち立てた久保が、2年後の東京五輪、4年後のワールドカップ・カタール大会へつながる「大人の階段」を駆け上がり始めた。 (文責・藤江直人/スポーツライター)