坂本龍馬の魅力を伝える企画展が高知で開催中。幕末に様々な人物を結び付けた手紙や家宝の刀など
来年は辰年。「辰=龍」が名に付く歴史上の人物といえば……。幕末の伊豆韮山代官・江川英龍(えがわひでたつ)、「肥前の熊」と称された戦国武将・龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)などの名が出てくれば、歴史通かもしれない。おそらく多くの人は坂本龍馬を思い浮かべるだろう。その龍馬、残念ながら辰年ではなく、未(ひつじ)年生まれ。とはいえ、十二支にちなんで龍馬の故郷である土佐を訪れてはいかがだろうか。 高知市の南端、太平洋や桂浜を見下ろす高台に坂本龍馬記念館が立っている。2024年1月8日まで開催中の企画展「龍馬の真髄」では、同館が新たに収集した資料と、これまで収集してきた資料を展示している。幕末にさまざまな人物を結び付けた龍馬が書いた手紙はその一つで、今回の企画展では龍馬の真筆13点を展示。家族へ宛てた手紙からは、龍馬の人間性を垣間見ることができる。 陸奥宗光(むつむねみつ)に短刀をおねだりした手紙は面白い。明治政府で外務大臣を務めることになる陸奥は幕末、海援隊で龍馬と行動を共にしていた。龍馬はピストルを使ったことが知られているが、刀も好きで相当な目利きだったそう。
企画展では刀関連の資料が展示されている。「刀剣図工」という刀のカタログのようなものや、兄から譲り受けた家宝の刀「吉行(よしゆき)」についてお礼を述べた手紙もある。龍馬が幼少時から大切にしていた脇差「備前長船(びぜんおさふね)勝光・宗光」の展示もある。室町時代末期、「末備前」と分類される刀匠たちの中で最も位が高い勝光(甥)と宗光(叔父)による合作で、名刀と言っても過言ではない。 歴史の表舞台に出ることなく裏方に徹した龍馬。中国では、古くから「龍」は権力の象徴とされてきたと同時に、「龍馬」は神の馬として信仰されていた。権力とは無縁だった龍馬は、人と人を結びつけるために「龍馬」のごとく東奔西走した。その功績や人柄、志などを知ることで、新たな龍馬像が描けるかもしれない。 問い合わせは、高知県立坂本龍馬記念館/電話088-841-0001