死刑囚だった袴田巖さんを釈放… 異例の決定をした元裁判長が明かす「有罪を見直せない裁判官の心理」
裁判官がはまる陥穽
過去の経験や固定観念によって非合理的な判断をしてしまうことを「認知バイアス」という。袴田事件の裁判官は認知バイアスの影響を受けたのではないかと村山氏は指摘する。 「適法な捜索で差し押さえて証拠が出てきた。これで裁判官が安心してしまい、もう疑わない。ねつ造と疑うなら、5点の衣類も端切れもどっちも捏造じゃないと辻褄が合わなくなる。そこで最後に来るのが『日本の警察がそんなことするのだろうか』ということです。バイアスがかかるのです。一度そういうように見始めると、トンネルビジョンと言いますが一つの方向からしか物が見えない。ほかの証拠を突き付けられても、それなりに説明がつく理由を考え始める」 裁判官が認知バイアスの影響を受けると、判決にも大きく影響する。 「5点の衣類は客観的な証拠であり、『言った、言わない』ではない。物として現に存在し、証明力は容易には減殺されないのです。(中略)裁判官が代わるたびに『本当に(巖さんがズボンを)履けるのか』と疑問に思ったはず。内心は『履けてくれたらいいな』と思っていたかもしれない。だけど、履けない。すると、履けない理由を説明しなきゃならなくなる。そこで『B体』のタグを発見して説明する(B体で大きいから、犯行時にははけたはずだ)。こういったことが有罪を見直すことができなかった原因です」 そして村山氏は「私は弁護団ではないので静かに(再審を)見守りますが、早く無罪で確定することが大事です」と述べた。
「見立て」に整合させる裁判官
村山氏の話からは、裁判官の発想がよく分かった。5点の衣類でひとたび有罪の確信を持ってしまえば、犯行を否定する証拠が出ても、裁判官は一から吟味し直すことにならない。ズボンが履けなくても「おかしい、真犯人ではないのでは」と考えるのではなく、それどころか認知バイアスの影響を受け、有罪と整合性を持たせる理屈づくりに励んでしまうかもしれないのだ。 大阪地検特捜部長だった大坪弘道弁護士はかつて筆者に、特捜検察の捜査について「見立てというものが絶対に必要。それがない捜査など捜査ではない」と話した。こうした「見立て捜査」が2010年に大阪地裁で無罪判決が出た郵便不正事件で厚労省の村木厚子さんの冤罪を作った一因だったが、実は裁判官も同じように一つの「見立て」で決めてかかってしまったようだ。それが無実の巖さんが死刑囚として半世紀も獄に捕らわれる悲劇を産んだ。 村山氏はこの日、第1次再審請求審の特別抗告を棄却した2008年の最高裁決定について「頭のいい人たちがお書きになったんだなと感じた」と語った。この言葉に筆者は「真実でないと知りながら、頭がいいからもっともらしく嘘を作文できた」という皮肉なのかとも思った。しかし、後日、本人に確認すると、「そうした意味は全くなく、あれほどきちっと論理的に整理できる人たちですら、バイアスがかかってしまうことの恐ろしさを言いたかった」とのことだった。 第2次請求審では奈良女子大学名誉教授(発達心理学・法心理学)の浜田寿美男氏が巖さんの供述を詳細に分析して「真犯人ならあり得ない供述」とした鑑定を出したが、裁判官には一顧だにされなかった。浜田氏は「法律家は心理学者など馬鹿にしているんですよ」と筆者にこぼしていたが、村山氏のような謙虚な裁判官だったら違ったはずだ。 秀才ぞろいの彼らが陥る「認知の誤り」について、村山氏の話は興味が尽きない。村山氏が東京大学に入学した1975年は、日本の刑事裁判史上、画期的な年だった。白鳥事件(北海道警の白鳥一雄警部が射殺された事件)の最高裁決定で「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則が再審にも適用されることになったのだ。それが免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の「4大死刑囚の再審無罪」につながる。 だが、当時、控訴審の最中だった巖さんは、いまだ恩恵にあずかっていない。