死刑囚だった袴田巖さんを釈放… 異例の決定をした元裁判長が明かす「有罪を見直せない裁判官の心理」
意欲をもって赴任した静岡地裁
村山氏は、なぜ裁判所が巖さんの死刑を確定してしまったのかを語った。 「2012年に東京地裁から静岡地裁に赴任した際、静岡地裁といえば袴田事件と思っていました。任期の間に何とかしたいと思ってきたことは間違いないんです」と村山氏は打ち明けた。再審請求事案は在任中に着手する義務はない。日々の激務で難儀な懸案は先送りにする裁判官も多い中、村山氏は当初から意欲が違った。 「資料の文書が古くて触ると分解してしまうので、紙を挟んだり手袋をしたりと気を使いました。袴田さんが有罪とされた証拠を読むと、結局、最終的に残るのは5点の衣類でした。自白はしているが拷問まがいの調べで信用性に問題がある。それまでの(有罪)判決も自白を主体に認定したわけではありません。中核は5点の衣類です。捜査段階では初めはパジャマが犯行着衣と言っていたのですが、ご存じのようにパジャマはほとんど血がついていない。よく見てもこれが血なのかなあ、という程度です」 静岡県警は犯行時の着衣を「血だらけのパジャマ」と新聞に書かせたが、実は付着した血液は鑑定すら困難な微量だった。公判維持が難しくなることを恐れ、犯行時の着衣を急きょ5点の衣類へと変更したのだった。
「頭のいい方がお書きになった」
「東京高裁で1976年に出た(控訴審)判決では、5点の衣類が『犯人性の中核的な証拠』とはっきり言っている。一番論点が整理されていたのは平成20(2008)年の第1次再審請求審理の特別抗告審。頭のいい方がお書きになったんだな、と思うくらいよく整理されている決定です。ここで申立人(巖さん)の犯人性について『申立人の自白を除いたもので認定できる』とされている」 巖さんは1981年に起こした第1次控訴審で、5点の衣類に含まれるズボンを履く実験を行ったところサイズが小さすぎて履けなかった。履けないズボンを犯行時の着衣とするのは無理がある。しかし、検察は「B」と書かれたタグが付いていたことを根拠に「ズボンはB体(横幅が広いデザイン)だったが、味噌タンクに入れられて縮んだ」と主張した。静岡県警はBが大きさではなく色を表すことを製造元への捜査で知っていたが、隠していた。 5点の衣類のズボンと同じ素材の端切れが巖さんの実家から出てきたことで、ズボンは巖さんの所有物であることを示す証拠とされた。この端切れは、事件の翌年、県警が巖さんの実家を家宅捜索したときに発見したという。 「5点の衣類に強力な証明力を認めたのは(端切れと)別々に発見されているためです。衣類は工場の味噌タンク、端切れは実家。いっぺんには両方を捏造できない。逆に言うと、別々に出たものが同じ方向を示したのだから本物とされた。これは重要なこと。裁判官の発想として事実を整合的に考えると、味噌タンクから(衣類が)出たことと(端切れが)実家から出たことを整合的に結べば、袴田さんのズボンが味噌タンクに入っていて、いっぱい血がついていた、となる。(中略)自白がいい加減でも、袴田さんが犯人に間違いないと認定される。そこからズボンが履けないなどのいろんな事実を説明する。侵入経路とか袴田さんが部屋に戻った経緯とか問題があっても、それらは本人が自白しない以上わからない。だけど、やったことは間違いないとの認定になってしまう。その辺をいくら攻撃しても扉は開かないのです」