『#20 米山香織~デビュー24周年のゴキゲンレスラー~』女子プロレスマガジン リレーコラムSEASON2
でーすでーす米山でーす。 ゴキゲンレスラー米山香織です! 今月、11月29日いい肉の日にデビュー24周年を迎えます。 その記念大会を11月22日いい夫婦の日に新木場1st RINGで開催します! 覚えやすいでしょ? こちらはまたあとでお知らせするねー! まずはプロレスとの出会いから遡ってみたいと思います! 初めてプロレスを見たのは高校2年生の夏休み。 レジ横に置いてあった全女の割引券にTVに出まくっていたアジャコング選手が載っているのを見て「近所に有名人来るよ!見に行こうー!」というのがキッカケでした。 どこかの駐車場だったかな。屋外での大会で大盛り上がり。 ルールもよくわからないのに他のお客さん達と一緒に「とよたー!とべー!……!!!?」とか叫んで盛り上がっていました。あんな高揚感味わったことなかった。 そのときに「私もコレやりたい!」って強く思ったの。 プロレスやるにはどうしたらいいんだろ? 部活や習い事ではできないし……プロレスやるにはプロレスラーになるしかないのか。 じゃあなろう! ということで、当時、近所にできたばかりの総合格闘技ジムRODEO STYLEにすぐ通いはじめました。 今みたいにプロレス教室とかあったらそれに通って満足していた可能性もあるのかな? 進路を決めなきゃいけない時期だったからちょうどよかった。 プロレスラーになると決めてから勉強はしませんでした。 でも、学校にはちゃんと通っていましたよ! 高校は卒業しておいた方がいいのかなと思って。 今は海外遠征や外国人選手と接する機会も多いので、英語は頑張っておけばよかったなー。 柔道もやっておけば柔道マッチできたし、数学でグッズの計算、国語力でSNSとかマイクで喋るの得意になっていたかもしれないし勉強って大事だったのね。
高校3年生の冬休みにいくつかの団体に履歴書を送りました。 書類で落とされることを考慮して。 未成年は親の同意書が必要なんだけど、お父さんはお前の人生なんだから好きなことをやりなさいと言ってくれて、お母さんは落ちると思っていたみたい。 とある団体のオーディションに落ちたりしつつ、JWP女子プロレスの新人オーディションに合格。 高校卒業の3日後ぐらいには入寮しました。 心変わりしないうちにと思って。 練習生時代は辛かったですね。本当に。人生で1、2番を争う辛さ。 練習はキツイし同期もいないし先輩はこわいし。 あ、イジメとかはなかったですよ。先輩は優しくてもコワイ存在なのですっ。 練習が終わってクタクタで、寝るときにはもう翌日の練習がおそろしくて……その繰り返し。 疲れすぎて洗濯できず、数日後に汗だらけのTシャツからカビが生えて捨てたこともありました! もうあの時には戻りたくないしきっと耐えられない。 でも、あの時間があったからこそ心身共に強くなれたと思っています。 多少のことでは折れない。挫けない。 でも、アレを今は強要したくないしあんな経験しないで良いと思いますが、あの時代を生きた人たちにはなんか特別な感情がありますね。 同志というか。 練習中の怪我などもありつつプロテストに合格。 エキシビジョンマッチを経てデビューへ。 JWP女子プロレス 1999年11月29日後楽園ホール vs春山香代子戦でデビュー 今は試合で緊張しなくなりましたが、このときは毎試合、なんなら起きている間はずっと緊張しっぱなしのような生活でした。 後楽園ホールでデビューと聞いた時はもっと小さな人の少ない会場で……と思っていましたが、聖地でデビューさせてもらえてありがたいですね。 18歳の私は自分のことしか考えられなかった。 いや、今もあんまり変わらないかなー! デビューして10日目の4戦目はデビル雅美選手とのシングルマッチでした。 意気込んでいました。 試合は思い切りいけていたと思うのですが、この試合で怪我をしてしまいます。 右腕の橈骨と尺骨の2本を同時に骨折。 救急車からの入院手術、長期欠場に入ります。 よく、デビルさんにへし折られたの?って聞かれるのですが、自分の受け身失敗です。 コーナーから飛んで避けられたときに「コワイ!」と思って手を着いてしまったんです。 ボキーン!!!! ものすごい痛みの中で「これがウワサの骨が折れる音か!」と思ったのを覚えています。 これが記憶の中では人生で1番の痛みです。 デビュー4戦目でものすごく痛い思いをしたので、大抵の痛みには耐えられるようになりました。 だから、良くないけどよかったのかなー! そして、いかなる状況でも恐れず受け身を取れるようにならなければいけないと強く感じました。 それまでも疲れていてもきちんと受け身を取って自分の身を守るよう教えられていましたが、こういうことだ、と。 セコンド中に再骨折などありつつ10ヶ月の欠場期間を経て復帰。 その後もたまに大怪我欠場などもありましたが、ベルトをいくつも巻いたりと充実したプロレス生活を送ることができました。 10年を迎える頃にそろそろ引退を考えます。