大巌院境内の「四面石塔」建立400年 記念行事を計画 館山のNPO(千葉県)
館山市大網の寺院、大巌院(だいがんいん)の境内にある「四面石塔(しめんせきとう)」。江戸時代初期のものといわれ、今年で建立から400年になる。安房地域の自然や文化財などを生かした地域づくりを進めるNPO法人安房文化遺産フォーラムがこの秋、記念行事を計画している。 大巌院は、現在の千葉市にある大巌寺の3世住職、雄誉霊巌(おうよれいがん=1554~1641)が、安房国主だった里見義康の帰依を受けて江戸時代初期の1603年に開いた浄土宗の寺院。 県教育委員会のホームページ(HP)によると、石塔は玄武岩で造られているとみられ、高さは2・19メートル。石に刻まれた記録から、元和(げんな)10(1624)年に建てられたとみられている。北を向いた面にインドの梵字(ぼんじ)、西面に中国の篆字(てんじ)、東面に朝鮮のハングル、南面に日本の古い漢字で、それぞれ今の日本の漢字にして「南無阿弥陀仏」と刻まれている。 このうち、ハングルは15世紀につくられた「東国正韻式」という古い文字で、100年ほどで消滅した。今の韓国国内にもあまり残っていない文字で、石塔が建てられた当時、すでに朝鮮半島でも使われていなかったと言われる。 石塔が建てられた年は、豊臣秀吉の朝鮮侵略から三十三回忌に当たる。このため、石塔は平和への願いを込めた供養塔と推測されるという。1969年に県の有形文化財に指定された。 安房文化遺産フォーラムの代表で、高校の世界史教員だった愛沢伸雄さんが、石塔を授業の教材にしたことを研究集会などで発表し、日韓の歴史教育者の間で注目されるようになった。 日韓の国民交流年だった2002年に館山市で開催された日韓歴史交流シンポジウムの際、来日した韓国・東国大学校の張榮吉(チャン・ヨンギル)教授は、石塔の東面に刻まれた文字は、古いハングルと漢字が併記された阿弥陀経の本が参考にされたとの見方を示した。この本は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に朝鮮半島に持ち込まれたとみられるという。 愛沢さんは「雄誉と里見氏の関わりや、江戸幕府の外交政策を見つめ直すことで、四面石塔から朝鮮との関係が見えてくるかもしれない」と話している。 記念行事は、11月9日にフォーラムが主催して行われる。第1部は、午前10時から大巌院で四面石塔の見学(無料)と、東京出身の在日コリアン2世の歌手、李政美(イ・ヂョンミ)さんの奉納コンサート(参加費1000円、定員60人)が行われる。 第2部では、午後2時から県南総文化ホールで歴史シンポジウム(資料代1000円、定員300人)が開かれる。「四面石塔の謎をさぐる」と題して、里見氏研究者の滝川恒昭・敬愛大学特任教授や、石造文化財研究者の早川正司氏、大巌院の石川達也副住職ら6人が登壇する。 シンポジウムは予約不要だが、李さんのコンサートは予約が必要。詳しくは、安房文化遺産フォーラムのHPへ。 (斎藤大宙)