友から伝えられた言葉の意味…「自分のシアワセだけ追求して生きよ」 家族がいてもいなくても 久田恵(808)
友人2人が、東京に戻ってきた私の家に、泊まりがけで来てくれた。1人は横浜の高層マンションから。もう1人は、移住先の千葉の山の中から。なんとその日は、大雨警報が発表されたさなかだった。約束はしていたけれど、いくらなんでも、こんな日は来られないんじゃないの?と思っていたら、2人は「嵐が来ようと来まいと、なんのその」という感じでやってきた。 この2人、どちらも学生時代のクラスメートで、共に社会福祉学を学んだ仲。そして、それから50年以上の間、途切れることなく付き合い続けて、共に年を重ねてきた。 彼女たちとは、遠くに住んでいても、会ってから数年がたつと、無性に会いたくなってしまう。そんな間柄だ。 今回は、私が東京で1人暮らしの高齢者になったので、どう暮らしていくのかと気に掛けてくれたらしい。 千葉の彼女も、今は、1人暮らし。庭づくりが好きな彼女は、自分の庭に生えているハーブをたくさん摘んできてくれた。「これがね、レモンバーム、こっちがレモングラス…、この葉っぱでお茶をいれてね、ハーブティーを楽しんで」 そう説明する彼女のくりくりした目は昔と変わらない。小柄で、愛らしい彼女は、周りの男子学生のあこがれだったな、と思い出す。 もう1人の友は、クラスのリーダー、学級委員という感じ。そして、私は?といえば、目立たない女子学生だった、と思う。 その日、2人の友から伝えられた言葉は「階段には手すりを絶対つけるのよ」「いらないものは捨てて、すっきりと暮らしたらいいね」などなど。つまり、これからの日々は、自分のシアワセだけを追求して生きよ、という意味だろう。なんだか、そんな言葉がしみじみ身に染みた私だった。(ノンフィクション作家 久田恵) ひさだ・めぐみ 昭和22年、北海道室蘭市生まれ。平成2年、『フィリッピーナを愛した男たち』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。介護、子育てなど経験に根ざしたルポに定評がある。著書に『ここが終の住処かもね』『主婦悦子さんの予期せぬ日々』など。