自分にとってウェルビーイングな会社とは?【藤田康人のウェルビーイング解体新書】
周囲の酷評にもめげず、運命を信じた
性格は私とは正反対だったものの、当時30歳のフィンランド人の彼とは年齢が近く、さらに味の素時代に一緒にプロジェクトを進める中でいくつかの難しいテーマに共に挑んでいたこともあり、はっきりとした信頼関係が生まれていました。彼となら世の中を変えるような大きなことが実現できそうな気がしたのです。 優良企業として知られる味の素をたった6年で辞め、まだ実態すらない外資系企業のスタートアップに身を投じた私を、周囲は気でもふれたかのように酷評しました。そう言われることはわかっていたので、誰にも相談することなく1人で悩み抜いた末の選択でした。 転職した会社は、味の素と同じ食品業界であり、商品もかつて自分が扱っていたものに非常に近いジャンルだったので、仕事の内容に不安はありませんでした。一方で、せっかく入社できた大企業のブランドを捨てることに不安がなかったわけではありません。 しかし、そのフィンランドの会社と、後に私がアジア市場で初めてデビューさせることになった製品に、その不安を凌駕(りょうが)する大きな可能性を感じていたのです。そして、「こんな大きな好機が、自分にとって絶好のタイミングで訪れたことは運命だ」と、心から信じることができました。 なぜあの時、あんなに純粋に「運命」を信じることができたのかはわかりません。「天の声が聞こえた」とは、今だからこそ言えるのでしょう。たった2人で立ち上げたビジネスはその後、日本で2000億円のマーケットを生み出しました。
42歳で訪れた2度目の転機
それから14年後の2007年、42歳の時に私はもう一度大きな決断をしました。今、私が代表を務めているインテグレートを興したことです。 20年間ずっとメーカーという事業会社の立場で自社製品のマーケティングをしてきた私が、今度はコンサルティング会社として、さまざまなクライアント企業の製品やサービスのマーケティングを支援するという、それまでとは反対の側に立つことになりました。 しかも、以前のように、資金面などをサポートしてくれる親会社もありません。自分で工面した資金だけで、ゼロからビジネスを立ち上げたのです。 そんなリスクを取ってまでなぜ、新しいチャレンジをしようと決意したのか。 理由は、インターネットの登場によるマーケティングの変革です。テレビCMなどマス広告を中心とした従来のマーケティングモデルが、デジタルの普及によって日本でも明らかに変わっていくことを、2007年当時に確信したからです。 ソーシャルメディアのような新しいメディアや、スマートフォン(当時はまだブラックベリーが主流でした)のような新しいデバイスの登場で、アナログとデジタルが融合し、次世代のまったく新しいマーケティングモデルに進化していくことが、明確にイメージできたのです。 そんな新しい時代の表舞台で、思いっきりマーケティングに取り組んでみたい。それも自社製品だけではなく、さまざまな業種業態の企業が作る製品やサービスのマーケティングを手掛けてみたいと思ったのです。 そのためには、これまで所属していた事業会社から、コンサルティング会社や広告会社という支援側にポジションを移さなければなりません。 しかし、42歳まで支援会社で発注する側にしかいたことがない私を、有力な会社が、希望の業務に携わるポジションで採用してくれるだろうか――。 答えは限りなく「No」だと思いました。それならば当時、私の周りにいた優秀な人たちと共に、自分で次世代のマーケティングを実践できる会社を立ち上げようと決心したのです。