「自撮りしているその気持ち、わかるで」この私がまさかジムに通うだなんて大事件【坂口涼太郎エッセイ】
日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは「カーダシアンへの道」です。俳優として必須の「存在感」が手に入る、とある場所とは。 【写真】日常こそが舞台。自宅で「お涼」ルーティーンを撮り下ろし 「キム・カーダシアンみたいなおしりになろう」 そう親友と決起してジムに通いだしたのは昨年の春。この私が。ジムに。こんな日が来るだなんて思ってもみなかった。というのは人生の定説というか口癖というか常套句ですが、ほんまにまさかこの私がジムに通うことになるだなんて。一日12時間睡眠の、用事がなければ家から一歩も出ないということを貫いていたら15日間家から一歩も出ていないことにもはや体の半分は液状化しながら「ほういえばあ、あれえ」と気づくようなこの私が、自らジムに行くために外出する日が来るだなんて、自分が自分ではないのではないか、入れ替わっちゃっているのではないかと思うほどの大事件なのである。 そんな人格を変えるほどの行動力を生み出した諸善の根源はなんといってもおしり。おしりなのである。おしり・イズ・人物の存在感の全てかもしれないという私見による大発見というか気づきを私にもたらしたのはなんと言ってもスーツです。役柄により、スーツを着ることの増えてきたお年頃なのですよ私は。そして、スーツというものはおしりが大変重要で、おしりがあるのとないのでは雲泥の差、否、存在が有るか無いかの差ぐらい違うのですよ。それに気づいてからというもの、街中ですれ違うサラリーマン各人の後ろ姿を目視、エスカレーターで目視、階段を登りながら目視、目視目視目視考察の日々でして、あ、臀部の布を持て余していらっしゃるわ。お、皺をもなくすボリューム感お見それしました。なんと! もはや鋼でできていらっしゃるごとき照りとフォルム、鉄腕アトムならぬ鉄尻シンシですか? と一つ一つの臀部を拝観、拝尻してめもめもなむなむの毎日です。 そんな私のそれといったらなんとも儚い、風が吹けばさーっと崩れてしまうのではないかというほどの存在感の薄さ、薄幸の尻なのである。スーツを着ても布が余り、皺というかもはやカーテンのごとく波打つ始末。臀部だけではなく上半身も肋骨が大きいのかなんなのか骨が浮き出て「もしかして、涅槃を目指して即身仏になろうとしているのですか?」と聞かれてもおかしくないほど即身仏もびっくりのカリカリボディー。ただただ貧相なのである。もともとあまり体重が増えない体質というか、一度映画で監督から役のために痩せてほしいというオーダーをいただき、53キロまで落としたことがあるのだけど、それからというもの食が細くなったというか、それまでが食べ過ぎていたというか、人間ってこんなに食べなくても生きていけるんだ、へえー、ということを体感してしまい、胃もすこし小さくなったみたいで以前より食事の量もなんだかスマートになっていた。 ということで、これからスーツを着るにあたってやっぱりおしりの存在は何がなんでも確保したい。ぴちぴちてりてりもちもちのそれを獲得そして死守したい。薄幸尻の私にだってきっと憧れの鉄尻シンシになる資格があるよね。あるはず。そう思っていた矢先、同じく尻ファーストの親友から連絡があり、今度二人でジムっていう噂には聞いたことがあるけれど未開の楽園、そこでは理想のこんもりを手に入れることができ、こんもり覇者たちがうはうはと自分の体をご自愛、愛でていらっしゃってうふん。まさにこんもりユートピア、理想のこんもりに出会う旅に出かけようではないかと決起して春。私たちは鼻の穴をむんと広げていざ出陣した。