性虐待被害の後遺症が悪化した。苦しむ私に届いた『死ねない理由』。経済的に余裕がなければ休むこともできない
◆「頼れる実家」を持てない人たち パートナーに保護された日の翌日、互いに休日だったため、車で2時間ほどの場所にドライブに出かけた。少しでも気分転換になればいい。春のきれいな景色を私に見せたい。そんな彼の思いやりが嬉しかった。桜の蕾が綻びはじめ、菜の花が満開で、小雨が降る海の静けさに心が凪いだ。きれいなものを「きれいだ」と思う感覚は、ちゃんと私の中に残っている。それなのに、なぜ唐突にすべてを投げ出してしまいたくなるのだろう。 「辛いことを過去のせいにするな」と言う人がいる。しかし、実際に過去に被った被害が今現在の私の生活を侵食し、せっかく恵まれた幸福にさえ影を落とす。それらすべてを「自己責任」と言われたら、私はもう言葉を持てない。這い上がりたい、立ち直りたい、と誰よりも当事者が思っている。だが、普通の生い立ちの人が持っている基盤を持てないがゆえに、立て直しそのものが困難なケースは多い。 心身のバランスを崩した時、出産時、離婚時、何らかのトラブルに巻き込まれた時、どのような状況においても、サバイバーには「実家に帰る」選択肢がない。両親からの経済的援助も、家事サポートなどの実質的な手助けも望めない。それどころか、人によっては実家に仕送りをしている場合もある。親が子どもにとって支えになる家庭ばかりではなく、親子関係が逆転し、子が親の生活を支えているケースも少なくない。小説でいえば、『52ヘルツのクジラたち』に登場する主人公の状況がそれに当てはまる。 支援者や知人から手厚い援助を受けられる人間はほんの一握りで、どの当事者もほぼ例外なく窮地からの自力脱出を求められる。虐待被害者、貧困家庭出身者、障害者、ジェンダーマイノリティ、ミックスルーツ。あらゆるハンデは「抱えていくもの」で、差別や偏見は「仕方のないもの」。そんな世間の風潮が、酷く息苦しい。
◆このタイミングで届いた一冊のエッセイ 希死念慮に襲われながらも生き延びた数日後、自宅にある書籍が届いた。発売前から絶対に読もうと心に決めていた、ライターのヒオカ氏によるエッセイ『死ねない理由』。「婦人公論.jp」にて連載中の「貧しても鈍さない 貧しても利する」書籍化された一冊である。本書には、連載記事のほかに“書籍だからこそ書ける内容”が大幅に加筆されており、著者の素直な想いが実直な言葉で綴られている。 “経済的に苦しいと、休みが取れず、体調が安定しない。そのせいで医療費が生活を圧迫し、また困窮する。こんなループを繰り返し続けている。” ヒオカさんの父親は体が弱く、安定して働くことが難しかったため、慢性的な貧困に悩まされる家庭で育った。また、著者自身も慢性的な体調不良に悩まされており、頭痛、倦怠感、吐き気、首の痛みなど数多くの不調を現在進行形で抱えている。 貧困は、悩みを増幅させる。医療費の心配がない経済状況の人は、数日のオフで心身を回復させ、予後の治療にも難なくお金を払える。だが、経済的に圧迫されている人は、そもそもが休めない。治療費の心配のみならず、休んだぶん減額される給与の心配もしなければならないからだ。誰もが、有給のある勤務体制で働いているわけではない。ケアできない体調は当然ながら悪化し、最終的には働けないどころか、生活すらままならない状況に追い込まれる。 「無理をしない」ことが大事なのは、言われるまでもなくわかっている。だが、無理をしなければ生きていけない人たちがいる。ヒオカさんの書籍には、そのような状況の人間が陥る切実なリアルがぎっしり詰まっている。 著者は、面前DVなどの心理的虐待の被害者でもある。著者が抱える体調不良の一部は、虐待の後遺症である可能性が高いと専門家から指摘を受けている。自分の生い立ちや環境との類似点が多い著者の言葉は、私が日頃言いたくても言えない本音と深く重なった。 Webの連載当初から、ヒオカさんの記事を追いかけてきた。このタイミングで本書が手元に届いたこと、『死ねない理由』というタイトルに、不思議な縁を感じた。装丁に描かれた著者の似顔絵が、まっすぐにこちらを見つめてくる。「あなたの“死ねない理由”は?」 ――そう問われているような気がした。 ※書籍引用箇所は全て、ヒオカ氏著作『死ねない理由』本文より引用しております。
碧月はる