江戸時代の吉原遊郭に学ぶ「モテる男」「モテない男」の境界線 自慢話や“おやぢ”はNG、身分の高さより羽振りの良さ…モテ要素には現代と共通点
「おやぢ」も嫌われた
井原西鶴が著わした『吉原つれづれ草』のなかで“嫌われる客”として例示されるのが、「おやぢ」である。 「当時の『おやぢ』は“老いた客”を意味しました。ただし江戸期は人生50年ともいわれ、40歳を過ぎたら『おやぢ』と呼ばれたようです」 そんな「おやぢ」の特徴について、『吉原つれづれ草』ではこう解説されている。 《老いた客は物事に気力が衰え、それでいてくどくどと益のないことを繰り返し言ったり、だらだらとしてのろく、淡泊だ》 高木氏が解説する。 「辛辣な言い方ですが、『おやぢ』や老いた客について似た書き方をする遊廓関連の史料は少なくありません。他にも『おやぢ』については“ベタベタしている”を意味する『したるい』との表現も多い。これは年配者の床事情について、苦言を呈していたのかもしれません。とくに『新造』と呼ばれる10代の見習い遊女からは、年の離れた『おやぢ』が嫌われたようです」 一方、モテる客の特徴として、次のような記述も残っているという。 「『色道大鏡』によれば、遊女の苦労を近くで見て理解してくれる同業者、器量がよく髪型や着物などが垢ぬけている役者、ケチなことを言わず太っ腹で、なんでも遊女の好きにさせる博打打ちの人気が高かったそうです。こうした“モテ要素”は、現代も変わらないのかもしれませんね」 興味深いのは、身分制が敷かれた当時の時代背景にあっても、「身分が高い=モテる」わけではなかったことだ。高木氏はこう指摘する。 「結局は先立つものが大事で、お金のない武士より羽振りのよい町人が贔屓にされた、という史料も残っています。とくに吉原の遊女たちは、江戸に参勤交代で来る武士をうまくあしらう気の強さもあわせ持っていたようです」
「全然床に入れない」
モテる客と、モテない客。そんな記述が残る一方、遊女に夢中になる男性客の心理も、史料には描写されているという。 「遊女は客と出会ったその日に情を結ぶのではありません。江戸時代中期以降になると3回目で床入りすることが多くなったとされますが、それ以前はまちまちで『5、6回通っても全然床に入れない』と客が嘆く記録もあります。馴染み客に詰め寄られても、『私はこんなに貴方を思っているのに信じてくれないのか』と巧みにいなす遊女もいたようです」 男性客をつなぎとめるために、遊女も様々な「誓約」を駆使したと高木氏は説明する。 「遊女は真に惚れたたったひとりを『間夫』と呼びました。間夫に対しては、自分の想いに嘘偽りがないことを神仏に誓う『起請文』を渡したり、『〇〇命』と客の名前の入った刺青を彫ったりしたようです。自らの血で書く『血文』を誓文とする人もいました。 他方、相手に内緒で何人もの客に起請文を渡したり、新しい間夫ができたら“昔の男”の刺青を焼き消し、新たな刺青を彫り直す強者もいたと記録に残ります。また、好意を自分から伝えるのではなく、あえて他の遊女に『あの子はあなたのことを想っている』と言わせて信憑性を持たせるテクニックも使われたようです」 本気の恋心を抱いた遊女が悲惨な末路をたどることもあった。 「客に惚れてしまった遊女が、人目を忍んで会っていることが知れると、周囲にたしなめられて破局させられたそうです。意中の男性と駆け落ちするも、お尋ね者になって真っ当な仕事に就けず、生活苦から男に逆恨みされた例もあります。遊女が想いを遂げるのは難しかったんです」 400年近い時を経ても男女の心の機微は変わらないのだろう。 ※週刊ポスト2024年11月29日号