《私の最初の晩餐》片岡鶴太郎が振り返る、若手時代に橘家竹蔵師匠の家で食べた「中華風豚の角煮」
「最初に食べたご馳走はなんですか?」。子供の頃に母が作ってくれた料理、上京したときのレストラン、初任給で行った高級店……。著名人の記憶に刻まれている「初めて食べた忘れられない味」を語ってもらい、証言をもとに料理を再現するこの企画。今回は片岡鶴太郎さんに、忘れられないご馳走を教えていただきました。 【貴重写真】高校卒業後、片岡鶴八師匠の元へ弟子入りした片岡鶴太郎
声帯模写から始まり、ありとあらゆるお笑い、役者の道を追求してきた片岡鶴太郎さん。ボクシングではプロライセンスを取得し、絵を描けば、横尾忠則氏が絶賛。57才から始めたヨガでは、インド政府公認のヨガマスター・インストラクターの称号も得た。すべての挑戦は「後悔しないため」にその最初の一歩で出会った晩餐とは──。 * * * 私は、やっぱり“ピン”が好きなんですね。幼い頃から役者とお笑い芸人に憧れて、高校では演劇部の部長を務めました。卒業後、文学座や雲といった新劇の方面に進んだ先輩も少なくありませんでしたが、思うところあって、私は片岡鶴八師匠の門を叩きました。 どうすれば、自分が後悔しないか。劇団は組織ですから、ひとりの努力だけではいかんともしがたいところがある。それが事実かどうかより、そう考えてしまうのが嫌なんです。その点、ピン芸人であれば、すべては自分ひとりです。 入門したばかりの弟子の仕事のほとんどは雑用です。寄席に出る師匠にお供をして、荷物を運んだり、着つけをお手伝いして、夕飯前には実家へ帰る。そんな毎日が1か月ほど続いた頃、師匠から「外郎売を知っているかい?」と聞かれました。 外郎売は、歌舞伎十八番に選定されているせりふ芸で、現在でも役者やアナウンサーの発声練習で広く使われています。私は演劇部だったので覚えがありましたが、いざ促されると、まあ、まったくの棒読みなわけです。師匠は「歌舞伎調」で読む名人でしたから、稽古をつけてくださることになったんです。
「鶴ちゃん、うちでちょいとやってくかい?」
じつは、この稽古は私のためではなく、落語家の橘家竹蔵師匠が主役でした。当時二ツ目だった竹蔵師匠が、歌舞伎調を学ぶために鶴八師匠のもとへやってきたのです。寄席にはお供していましたが、ほかの芸人さんや師匠方と話をする機会などまったくなかったので、かなり緊張して臨みました。 無事に稽古が終わって一緒においとますると、駅までの道すがら、竹蔵師匠が「鶴ちゃん、うちで、ちょいとやってくかい?」なんて誘ってくださった。これはね、ドキッとしましたよ。おそば屋さんでの振る舞い方なんかは教わっていましたが、噺家の師匠の家におよばれするなんて、まったく初めての経験ですから。 もちろん竹蔵師匠は慣れたもので、高円寺のお宅に入ったら、チャキチャキした奥さまがいらして、パッパッパッパッとテーブルにご馳走が並んで、お酒も次々。すっかり浮かれ気分になってしまって「ずいぶん酔ってしまいました。すみません」と謝ったら、師匠が言うんだ。「酔うために飲むんだから、構わないよ。酔わなきゃ面白くないだろ」って、こっちに気を使わせないようにね。 奥さまの手料理はどれもおいしくて、中でもびっくりしたのが豚の角煮。沖縄料理のラフテーってあるでしょう。あれよりも脂身は少なくて、だけど身はほろほろ、ほんのり中華風の甘辛。2年前、NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』に出ているときなんかは、ラフテーが出てくるたび、心の中で竹蔵師匠の家の角煮を思い出してね。懐かしいなあ。