“最後の孤立部族”センチネル族とは、インド洋の孤島に暮らす世界で最も隔絶した人々
過去にはナショナル ジオグラフィックも遠征
1975年、ナショナル ジオグラフィックは、インド人の人類学者と映像製作者からなる「友好的接触をはかる」探検隊に向かって海岸から矢を放つセンチネル族の印象的な写真を掲載した。「矢は言葉よりも雄弁――アンダマン諸島最後の部族」という見出しの下に掲載されたこれらの写真は、センチネル族を敵対的で時代遅れな存在として世界中の人々に定着させるのに役立った。 センチネル族が現代社会から隔絶して暮らしているというのは正確ではない。彼らも私たちと同じように現代に生きている。 技術がないわけでもない。センチネル族の弓は強力で精巧に作られており、彼らは素晴らしい技術でその矢を操り、おそらく近くの難破船から回収したであろう金属で矢じりを作る。 それでも、人類は1万年の歴史のほとんどの間、オールで漕ぐ船から旅客機まで、さまざまな交通手段で北センチネル島を素通りしてきた。島は、部族や大陸をつないできたあらゆる装置や機器、つまり文字や蒸気機関、スマートフォンからほぼ完全に逃れてきた。センチネル族が外の世界について断片的な接触から得た知識がどれほどであれ(おそらくかなりのものだが)、自分たちの故郷が地球上で最も孤立した場所の1つであることを知る術はない。
なぜこれほど長く孤立しているのか
地球上のあらゆる人間社会の中で、なぜセンチネル族だけがこれほど長く孤立を保てたのか、単純な説明はないようだ。1850年代に大英帝国がアンダマン諸島に領土を広げたときをはじめとし、その後にインドがアンダマン諸島の支配権を握った過去200年ほどの間、様々な人間がセンチネル族との接触を試みてきた。 1967年から2000年代初頭にかけて、インド政府の人類学者が時折ボートで北センチネル島の浜辺に近づき、1991年には2回、波打ち際でセンチネル族にココナッツとバナナを手渡すほど接近できた。ほとんどの場合は、侵入者が近づきすぎると、センチネル族はただジャングルの中に姿を消すか、チャウ氏に対してしたように対応する。最初はジェスチャーと叫び声ではっきりと警告を伝え、それが通じなければ矢の一斉射撃をするのだ。 なぜセンチネル族がこれほどかたくなに孤立状態を保ち続けてきたのかは、それほど不思議ではないかもしれない。アンダマン諸島には何百もの島があり、その中にはかつて言語的にも文化的にもセンチネル族に似た人々の社会が繁栄している場所もあった。 19世紀、大英帝国がアンダマン諸島に侵攻し、最大の島の1つに囚人の流刑地を設置して、1857年の英領インドで起きた反乱で敗れ去った数万人を収容した。そこには、恐ろしい結末が待っていた。島民は伝染病と暴力によって壊滅的な打撃を受け、彼らの古代文化は「キリスト教化」と「文明化」を目指すヨーロッパ人によって抑圧されたのだ。