【中島健人・キタニタツヤ】アニメ『【推しの子】』主題歌が話題の「GEMN」に迫る!大学時代のエピソードも
僕たちはいつも「足りない」 「満たされない」思いを抱えている
――楽曲制作をするにあたり“お互いについて”深く語り合ったと聞いています。 中島 自分の内面と向き合う曲にするためにも、やっぱり、嘘はつけないなって。キタニ君には僕のルーツの全てを話したと言っても過言じゃないかもしれないよね。それこそ、学生時代の辛かった経験とか、他人には話したことのないことも全て赤裸々に話したので。 キタニ 腹を割って話すなかでシンパシーを感じたのは「僕らはいつも足りていないほしがり屋さんだ」ってこと。どんなに満たされる瞬間があっても、周りからは満たされているように見えていたとしても「まだこれができていない」「足りない」「あいつは持っているのに自分は持っていない」って。何かがずっと欠落しているように感じているんですよ。 中島 今作の中でも一番心に刺さったのが『致命的な欠落をくれたね 身勝手な巨星、狂わされた生』という歌詞ですね。僕たちはいつも足りない何かがある、だからこそ、渇望して走り続ける。そこは僕とキタニ君との共通点であって。話してみるとお互いに「わかる!」というものをいくつも持っていた、それはすごく嬉しいことだったよね。
ノンノ世代、 僕たちも大学に通う学生でした
――実は共通点が多かったお二人ですが、中島さんは明治学院大学、キタニさんは東京大学と大学を卒業しているのもまた共通点ですよね。中島さんは高校生の頃にすでにデビューしていましたし、キタニさんも音楽活動を初めていたと思うのですが、なぜ大学進学しようと思ったのでしょうか。 キタニ そっか、健人さんも大学生をやっていたのか。デビューしたのはいつだっけ? 中島 高校3年生のころ。受験シーズンまっただなかのデビューだったのよ(笑)。 キタニ よく大学行ったね(笑)。高校生の頃の僕は音楽をやっていたけど仕事にはなっていなかったから、もう働いていた健人さんがなぜわざわざ大学に行ったのか、その答えは確かに気になるよね。 中島 大きなきっかけは東日本大震災なんだよね。そこで、自分の住んでいる地域は約1ヶ月の断水と停電を経験。当時は家族と一緒に自衛隊の給水車を待ったり、母が少しずつかけてくれるペットボトルの水で手を洗ったり、それこそ、東京で仕事があるときはテレビ局のシャワーをお借りしたこともあったりして。周りの都市がどんどん復旧していくなか、自分の住んでいる地域はまだまだ大変な思いをしている。でも、それがメディアであまり報道されない……。そこに疑問を抱き、メディアについてもっと勉強したいと思って、社会学部に入ることを決めたんだよね。 キタニ そうなんだ。学びたい思いが自分を動かしたわけね。 中島 キタニ君はどう? 東京大学ってだけでもすごいけど、しかも、一発合格でしょ? 一体、何を、どこを、目指していたの⁉︎ キタニ 僕は高3の時点で音楽のプロになれるなんて思っていなかったし。当時は自分がまだまだ子供なのもわかっていたから、まずは「このまま社会に出れるはずがない。大人になるための時間稼ぎが必要だ」と思ったんだよね。また、母親からは常々「選択肢の手札を増やしておけ」と言われていたんですよ。いろんなものを見聞きして、自分の未来の範囲を広げてから、自分の道を選びなさいと。その時間稼ぎと選択肢を増やすために、自分は大学に進学にしたというか。