ジョブズすら最初は否定したiPhone誕生秘話。決意と好奇心が「革新」を産む
どれほど力強いストーリーをつくりあげ、どれほど感動的に伝えても、必ずなんらかの抵抗に直面することになります。 それは、あなたのビジョンを理解してくれるだろうと、もっとも期待している人たちにも当てはまるはずです。 だからこそ、決意を持って行動しなければならないのです。
Apple元最高デザイン責任者の「創造性の秘訣」
Appleの元最高デザイン責任者であり、小規模クリエイター集団LoveFromの共同創設者でもあるジョナサン・アイブは、デザインと創造のプロセスに執念を持って探究するデザイナーです。 ケンブリッジ大学でスティーヴン・ホーキング・フェローシップ賞を受賞した際の講演で、彼は決意の重要性を称え、「決意は創造性に必要なパートナーである」と強調しました。 アイブは「非常に異なる2つの考え方の間には根本的な対立があります」と語り、このように続けました。 それは、好奇心と問題を解決するために必要な決意と集中力との間の対立です。 しかし彼は「好奇心と決意は決して相反するものではない」とも強調。それらの間を行き来しながら、良いバランスを見つけることが大切だと述べています。 続けてこのようにも語っています。 一見して克服不可能な問題を解決するためには、徹底的に取り組み、完全に集中しなければなりませんが、その問題を解決するには新しいアイデアが必要です。 問題を解決するためのより良い方法を見つけ続けるために好奇心を働かせることと、解決策をつくり出すために掘り下げることの間には行き来があります。 アイデアと製品の違いは、あなたが問題を解決したかどうかにあります。 この好奇心と決意のバランスがどのようにして優れた問題解決と画期的な成果につながったかを示す、私のお気に入りのストーリーはiPhoneの創造に関するものです。
ジョブズらしくない行動と大失敗
一般的な神話とは対照的に、iPhoneはスティーブ・ジョブズの産物ではありませんでした。 なんならジョブズはその誕生を妨げるところだったのです。 信じがたいですよね? たとえ破壊者であっても、破壊されることがあり、破壊されないように人の助けを必要とすることがあるのです。 ブライアン・マーチャントは彼の著書『The One Device: The Secret History of the iPhone』のなかで、iPhoneがどのように誕生したのか、その舞台裏の物語を語っています。 最初、ジョブズはiPhoneついてなにも知らなかったそう。 マーチャントはインタビューでこのように語っています。 iPhoneはジョブズの知らないところで行なわれた実験的なプロジェクトとしてはじまりました。 その年は2004年、携帯電話が急成長していた時期。 メール機能以上にAppleのデザイナーたちが注目したのは、電話がカメラやMP3プレーヤーとしての機能を高めていることでした。 Nokia 5310のような携帯電話は、音楽再生機能でますます人気に。 当時、iPodはAppleの売上の半分以上を占めていました。Nokiaやほかの新興デバイスに市場シェアを奪われる可能性があります。 のちに最初の3つのバージョンのiPhoneを開発することになるiPodのデザイナーのトニー・ファデルは、非常に敏感で洞察力のある先見性を持っていました。 彼は明らかな兆しを見抜いていたのです。それは「Appleは電話を発明する必要がある」という兆しでした。 ファデルは当時をこのように振り返っています。 私たちは音楽プレーヤーで動画、オーディオ、写真を扱っていました。そしてiTunesが現れたのです。 続いてフィーチャーフォンが登場しました。そしてフィーチャーフォンでMP3を再生できるようになったのです。 この瞬間は衝撃的でした。 私たちがやっていることすべてが電話に奪われる可能性がありました。これに対抗するため私たちに何ができるだろうか、と考えたのです。 Appleはこれまで、多くの大きな問題に対して豊かな創造力で解決策を見出してきました。 しかし、今回の問題はジョブズが「Appleが電話をデザインすることに賛成ではなかった」という点です。 マーチャントが振り返るように、ジョブズは「電話の問題は、私たちがエンドユーザーに到達するために『開口部』を通り抜けるのがあまり得意ではないことだ」と語りました。 ジョブズが言う「開口部」とは、ベライゾンやAT&Tのような電話キャリアのこと。 これらのキャリアは「どの電話が自社のネットワークにアクセスできるか」について最終的な権限を持っていました。 ジョブズはまた、新興のスマートフォンというカテゴリーが十分に広い市場に達するとは思っていませんでした。 ジョブズはスマートフォンの可能性が「ポケットプロテクター(胸ポケットにペンを持ち歩くような生真面目なエンジニアや生徒)」のような人や、メールに取り憑かれたビジネスユーザーに限られていると考えていました。 初期のiPhoneエンジニアだったアンディ・グリニョンは、マーチャントにこう語りました。 経営陣はジョブズに、電話をつくるのはすばらしいアイデアだと説得しようとしていましたが、彼に成功への道筋は見えていませんでした。 結局、ジョブズは携帯電話メーカーのMotorolaと契約し、彼らにAppleの携帯電話を製造させることを決めたのです。 これは、私たちが知っているスティーブ・ジョブズらしくありませんよね。 ユーザー体験を自分たちでコントロールせず、Appleのプラットフォームに接続する体験を他社に任せたのですから。 しかし、まさにそれが実際に起こります。 そしてジョブズは最終製品を嫌ったんです。 それでも彼は発売を進めることに同意し、その携帯電話は2005年9月にMoto ROKR E1と同時に市場に登場。そして、大失敗に終わります。