台湾近代化と歩んだ老舗書店が閉店、創業家と台湾の深い縁は「プレステ」の成功につながった
東京・中目黒駅前にある「新高堂(にいたかどう)書店」が昨年末閉店した。一見すると、どこにでもある小さな「街の本屋」だが、日本統治下の台北にルーツを持ち、創業125年を誇る老舗だった。近代化の道を歩み始めた台湾で出版業界の礎を築き、創業家は敗戦とともに日本へ引き揚げ焼け野原だった中目黒で再び看板を掲げた。 【写真】台湾発祥の老舗書店に幕 創業125年、戦後東京に
波乱に満ちあふれた創業家の軌跡をたどると、ソニーグループの家庭用ゲーム機「プレイステーション」の成功にもつながる日台の絆があった。(共同通信=西川廉平) ▽台湾最大の書店 創業者の村崎長昶(ながあき)さんは熊本で生まれ、1895年に台湾初代総督の樺山資紀氏らに同行して台湾へ渡った。同じ年の6月、清国から日本へ台湾を引き渡す式典が基隆港沖の船上で行われた。それにも参加し、日本統治時代の幕開けから立ち会った。 村崎さんの手記には「その勇ましき光景は終世忘れられぬ壮観であった」と記されている。3年後の1898年に立ち上げた新高堂は文房具の販売から始まり、その後書籍販売や出版にも事業を広げた。店名は台湾島で最高峰の「新高山(にいたかやま)」(現・玉山)にちなんだ。総督府近くの目抜き通りに店を構え、日本本土の書籍を販売したほか、小学校や台湾人向けの公学校が使う教科書を独占的に取り扱い、植民地での日本語普及に合わせて事業を拡大。台湾最大の書店に発展した。
事業家として成功した村崎さんは地元の名士として、書籍業界団体のトップや台北市議などの要職を務めた。台北で生まれた孫の恭子さん(86)は「店舗2階でかくれんぼをして遊んだのをよく覚えている。お手伝いさんも大勢いて、当時の生活は楽しい思い出しかない」と振り返る。 そんな村崎家の栄華も日本の無条件降伏とともに一転し、一家11人は土地や株券などほぼ全ての財産を置いたまま、基隆港から日本へ引き揚げた。 ▽焼け野原からの再出発 とはいえ本土には帰る家もなく、親類の家を転々とする日々を過ごし、村崎さんは「引き揚げ者の情けなき境遇を痛感した」と手記に残している。その後、1948年ごろに空襲の焼け跡が残る東京・中目黒で小さな土地を確保し、新高堂書店はゼロから再出発した。 2010年からは創業者のやしゃごにあたる梅田美音さん(48)が5代目店主を務めた。周辺の様子は終戦直後とは様変わりし、店舗はタワーマンションのそびえる中目黒駅前の再開発エリアに入った。