国内最大級のもちまき開催する「もちの町」 300種以上のもち料理、かつては「もち暦」も
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】2万個のもちがまかれた、国内最大級の「もちまき」の様子
もちの魅力を全国に発信
岩手県一関市は「もち」の町として知られている。 秋には地域の食文化であるもちの魅力を全国に発信しようと、「全国もちフェスティバル」なる催しが開かれる。 会場には、もちプリンやもち入りメンチカツ、もちギョウザなど、独創的なもち料理の屋台が並び、県内外からもち好きの人々が詰めかける。 最大の目玉は、国内最大級のもちまきだ。 昨年は舞台から約1万個のもちをまいたものの、主催者は「十分には満足できなかった」らしく、今年は昨年の2倍の約2万個のもちを、会場の舞台から詰めかけた参加者の頭上に向かって盛大にまいた。 「一関と言えば、やっぱりもちなのよね~」と両手をもちでいっぱいにした参加者が笑う。 「お祝い事があると必ず出てくるの。一番のごちそうなのよ」
伊達藩が開墾推奨、くず米もおいしく工夫
一関地方には300種以上のもち料理があるとされる。 かつては「もち暦」が存在しており、年60日以上ももちをつく日があった。 どうして、そんなにもちが好きなのか? 一関もち食推進会議発行の「もちのまち」によると、藩政時代、伊達藩は開墾を推奨し、毎月1日と15日にもちをついて神に供え、小豆と一緒に食べる習慣があった。 しかし、農家にはもちを食べるゆとりがなく、くず米を粉にして練り、雑穀などと混ぜ合わせて食した。 くず米をおいしく食べる工夫として、沼地に生息するエビやヨモギなどを使ったもちが生まれたとされる。
ご近所に振る舞う「まわしもち」
結婚の際は近隣住民らが玄関口に集まり、「もちつき歌」を歌いながらもちをつき、新婦を出迎えた。 新婦が実家から持参してきた一升もちをあんこもちにして、近所に振る舞う「まわしもち」という風習もあったという。 昨年の全国もちフェスの会場では、実行委員長が焼けたもちのかぶり物をかぶって会場を練り歩いていた。 もちが好きなんですね、と声を掛けると、「当然」と嬉しそうに答えた。 「故郷の誇るべき食文化ですし、それ以上に、おいしいでしょ?」 (2023年11月、2024年10月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>