「アベノミクスの源流を探る」(上)三本の矢と歴史上の経済政策
安倍総理は今回の総選挙を「アベノミクス解散」と命名した。アベノミクスを争点にすることが選挙戦を有利に進められると判断したためだろう。裏返せばアベノミクス以外の問題を争点にすることを避けたいと考えている。 【写真】(下)新自由主義を採用した国々の顛末 安倍総理は、2年前の12月16日に当選した衆議院議員を、まだ任期半ばに達していないにもかかわらず全員の首を切った。その決断が軽いものであるはずはない。民主主義の常識から言えば、「2年間の安倍政治全体」を問う事になるはずだが、アベノミクスを争点にしようと考えるのには理由がある。アベノミクスにまだ賞味期限が残っていると考える一方、年が明けて先に行けば行くほど破たんの危険性を感じているからである。アベノミクスの源流を探ればそれが見えてくる。
高橋是清が行った戦前のリフレ策
アベノミクスは「3本の矢」から成り立つ。第一の矢は大胆な金融緩和でリフレーション政策と呼ばれる。日銀が国債を引き受け通貨の量を膨張させてデフレ不況からの脱却を図る。これは戦前に高橋是清蔵相が世界恐慌からの脱却を図るために行った政策と同じである。しかしこの時、高橋是清は大量のマネーが海外に流出する事を防ぐため資本逃避防止法を作り、また外国為替管理法によって資本流出と為替の統制を行った。 そのため国際金融市場と国内金融市場は途絶された。そして3年後に景気回復の目途が立つと高橋は一転して財政再建に乗り出す。リフレ政策は行き過ぎればインフレをもたらして国民経済にマイナスになるからである。高橋は国債発行を減らして軍事予算を圧縮する緊縮策を採った。今年アメリカのFRBが金融緩和の後にやり出したいわゆる出口戦略である。 しかしこれが軍部の反発に遭い2・26事件で高橋は暗殺された。その背景にはリフレ政策による格差拡大が地方出身の兵隊に財閥と政治家に対する怒りを生みだした事情もある。結果として高橋のリフレ政策は一時的な景気回復に成功したが、出口戦略に対する反発からインフレと軍国主義化を加速させて日本を破滅に導いた。そしてアベノミクスにはいまだに出口戦略が見えない。先に行けば行くほど出口戦略は難しくなる事が分かっているのに見えない。