「ミシャ式」誕生の功労者 “ドクトル・カズ”がクラブ史上最高のボランチであり続けた理由【コラム】
広島に移籍してきた選手は軒並み「カズさんがこんなに上手いなんて」とコメント
実際、彼に対しての低評価はメディアだけでなく、対戦相手も同様。2012年からスタートした広島の黄金時代でも、監督・選手の投票で決定されるJリーグアウォーズにおいて、森﨑和幸は優秀選手に1度だけ選出されただけで、ベストイレブンには全く届かなかった。この評価の低さに当時の森保一監督は激怒し、佐藤寿人や髙萩洋次郎らも疑義を呈したことがある。 だが、広島に移籍してきた選手たちは軒並み、こうコメントしていた。 「カズさんがこんなに上手いなんて、知らなかった」 水本裕貴、山岸智、千葉和彦、李忠成、西川周作、塩谷司、工藤壮人。多くの選手たちが驚愕し、そして「一緒にやらないとカズさんの凄さは分からない」と口を揃えた。柏木陽介は「移籍してみて、改めてカズさんの上手さ、凄さが分かった」と言葉を発している。彼のように広島で育った選手たちにとって、森﨑和幸という名前はダイヤモンドだ。 2009年、広島にやってきたミキッチは「カズなら1000万ユーロ(約17億円)で欧州のビッグクラブに移籍できる。チャンピオンズリーグ(CL)で戦える」と太鼓判。2016年に広島でプレーしたピーター・ウタカは、「まるでスティーブン・ジェラードのようだ」と称賛した。2015年の優勝にカズとともに貢献した浅野拓磨は「トレーニングでもカズさんには、びっくりするようなボールの取られ方をされていた。広島で一番驚いた存在だし、一緒にプレーするまで気づかなかった」と語っている。そして、長年のパートナーだった青山敏弘は「カズさんがいなかったら、自分の存在はなかった」としみじみと語っていた。 カズとともに3度の優勝を経験した森保一は、トレーニングで常に彼と話し込み、戦術の構築について互いに言葉をかわし合った。「私よりチームのことは分かっている。カズは間違いなくピッチ上の監督」と絶対的な信頼を寄せていた。 若き日の森﨑和幸を発掘し、育成に一役かった小野剛元監督は、「若い頃から技術だけでなくゲーム全体を把握する力が図抜けていた。私が日本代表監督だったら、間違いなく彼をセレクトしていましたね」と目を細めた。 引退を見届けた城福浩監督は「彼の良さは、外で見ている時よりも一緒のチームになったあとのほうが明確に分かった。仲間が楽にプレーできるように、彼は振る舞える。何より、一瞬で正解を導き出せる能力は抜群で、(引退間際であっても)トップ・オブ・トップでした」と絶賛する。