親の死に目には会えなくてもいい…日本人の大半が誤解している「家族との最期の別れ方」
親の死に目に会えなかった
母は、病気や怪我で入院したこともありましたが、九〇歳近くまで元気でした。 母が危篤状態になったとき、私には大阪で講演の仕事が入っていました。キャンセルすれば、講演を楽しみにしている人たちや主催者に迷惑がかかってしまいます。結局、その仕事を全うしたため、死に目に会うことができませんでした。母の死は、これまでの私の人生で最も悲しい出来事です。 若い頃にはぶつかったこともよくありましたが、母は、私たちきょうだいを一所懸命に支えてくれた大きな存在でした。五人きょうだいのなかでも自分は母に心配ばかりかけ、親孝行らしいことをしてこなかったという思いも強く、よけいに悲しく、涙はとめどなく、心を痛めました。 その喪失感はたとえようもなく、今思えば、生活に大きな変化を余儀なくされたように思います。 父の臨終にも私は間に合いませんでした。きょうだいのうち二人はすでに亡くなりましたが、いずれも死に際に立ち会っていません。東京と名古屋は近いようで遠く、肉親が息を引き取る瞬間に立ち会ったことが、責任ある役職にいた私にはありませんでした。大切な人との別れは、思うに任せないものです。 読者のなかにも、そう感じている人がいるでしょう。今現在、自分や配偶者の親との接し方や、介護や看取りの問題に直面して悩んでいる人も、少なくないと思います。 しかし、大切な人の死に目に会えるか会えないかは、運命としか言いようがありません。それよりも、生きているときにどういう関係で過ごしていたかのほうが、ずっと心に残るのではないでしょうか。 家族にせよ、仕事関係者にせよ、お互いが生きているあいだに相手を信じ、嘘をつくことがなければ、どちらが先に逝こうと、相手を大切に思う気持ちは通じているはずです。 もちろん、最期のときに会えるならそれに越したことはありませんが、人間、生きて働いて生活していれば、そんなに都合よく大切な人の死に目に立ち会えるとは限りません。 たとえ死に際に会うことがかなわなくても、それまでの人生で悔いのないように付き合って、よい人間関係をもっていれば、心残りはないと思うほかありません。 さらに連載記事〈ほとんどの人が老後を「大失敗」するのにはハッキリした原因があった…実は誤解されている「お金よりも大事なもの」〉では、老後の生活を成功させるための秘訣を紹介しています。
丹羽 宇一郎