ベイスターズ小園健太が振り返る市立和歌山高時代 コロナ禍、甲子園のマウンド、智辯和歌山との激闘...
「めちゃくちゃ応援していましたね。自分たちに勝ったわけですから、智辯が甲子園で負けたらむちゃくちゃ悔しい。それに何回も対戦しているうちに仲よくなった選手も多かったですし、シンプルに友人として頑張ってほしかった。だから、優勝した時はうれしかったですよ」 どこか眩しい思い出を振り返るように小園は言った。智辯和歌山が優勝した際、同校の中谷仁監督は、小園という世代ナンバーワンの投手に勝てたことが自信になったという旨を語っていたが、その言葉を聞いてどう思ったかと聞くと、小園はかぶりを振った。 「いや、僕からしたらたまたま2年の秋に3回勝っただけで、ほかの試合は智辯に全部負けているんですよ。だから、僕からしたら逆なんです。智辯に勝つために3年間頑張れたし、智辯という存在があったから、自分自身成長することができたんです。だから僕としては感謝しかないんですよ」 【松川虎生とのふたり旅】 その後、小園はプロ志望届を提出し、ドラフトの日を待つ身となったが、学生時代最後の夏の日をどのようにして過ごしていたのか。 「もちろん、プロへ行く準備のために新チームに混ざって練習していたんですけど、あと松川と旅行に行ったんですよ」 中学時代から6年間バッテリーを組んだ盟友とのふたり旅。飛行機で西へと向かった。 「僕の祖父母が住んでいる宮崎に行ったんです。4~5泊して、ふたりでいろんなところに行きましたよ。シンプルに楽しかったですね」 冒頭で小園は、甲子園を「心技体を成長させてくれる場所」と答えた。では、プロとなった今、甲子園も含めた高校時代に学んだことで、現在の教訓になっていることは何かあるのだろうか。 「やっぱり考えて練習することですね。高校時代から、何となしにやるのではなく、意図をもってトレーニングをするように指導されてきたので、それは今もすごく生きているなって感じています」 さて、ペナントレースも後半戦に入り、試合数も少なくなってきた。コンディショニングの不良で実戦から離れている時期もあった小園だが、現在はマウンドに戻ってきている。 「バッターとの駆け引きの感覚を研ぎ澄ませることと、暑い時期なのでスタミナ面の強化など最大限の力を発揮できるような準備はしています」 一軍の投手陣が苦しくなっていくこの時期、ある意味、小園のような若手にとってはチャンスのタイミングとも言える。今季2度目の先発のチャンスを掴むため、そして悲願の初勝利を目指し、小園の熱い日々はつづく----。 小園健太(こぞの・けんた)/2003年4月9日、大阪府生まれ。市和歌山高から2021年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズから指名を受け入団。背番号はかつて三浦大輔監督がつけていた「18」を託された。1年目は体力強化に励み、2年目は一軍デビューこそなかったが、ファームで17試合に登板。最速152キロのストレートにカーブ、スライダー、カットボール、チェンジアップなどの変化球も多彩で、高校時代から投球術を高く評価されている。
石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi