ろうの母親に、授業参観や運動会に来ないで欲しいと言った日
その日はいつもよりも遠回りをして帰った。「一緒に帰ろう」という友人からの誘いを断り、たったひとりで学校を出た。 どうすればいいんだろう。 母が授業参観に来たら、笑われるかもしれない。耳が聴こえないせいでオロオロしている母。それを見て、クスクス笑い出すクラスメイトたち。なにもできず、固まっているぼく。どんなに頭を振っても、最悪のシーンばかりが次々に浮かんでくる。 どうすれば、母が笑われずに済むんだろう。それは宿題よりも難しい問いで、いくら考えても答えなんて出なかった。 学校から自宅までの道のりを逆に進んでいくと、港が見えてくる。朝方は漁師で賑わっているそこも、放課後になると閑散としている。そこをトボトボ歩きながら、あらためてプリントを広げてみた。 授業参観のお知らせ。その文字を賑わすように、星マークや動物のイラストがちりばめられている。当日の教室にはきっと、心温まるような空気が流れるのだろう。でも、いくら想像しても、そこで笑っている自分自身が浮かんでこなかった。 プリントを手に取り、端から少しずつ破いていった。原型を留めないほどビリビリに破ると、それを海に向かって投げ捨てた。海から吹く強い風に乗ると、紙吹雪のように舞い、散っていった。手を広げてみると、指先はインクで真っ黒に汚れていた。 結局、母は授業参観に来なかった。当たり前だ。ぼくが知らせていないのだから。 ところが、後日、母がそれに気づいてしまった。 ──こないだ、授業参観あったの? なんで教えてくれなかったの? 近所の人の話で授業参観があったことを知った祖母から聞いたのだろうか、母は眉間に皺しわを寄せてぼくを見ている。そんな大切なことをどうして隠していたのだと、責めるような表情をしている。 どうして叱られなければいけないんだ。母が傷つかないように、馬鹿にされないようにと考えて出した結論なのに、ぼくが悪いのだろうか。 そんな想いをうまく伝えることができなかった。 ──お母さんには来てほしくなかったから……。耳が聴こえないから、学校には来ないでほしいの。 そう言うだけで精一杯だった。その言葉の裏側にはさまざまな感情が潜んでいた。でも、幼いぼくには、胸の内を正確に伝えるだけの術がなかった。 きっとそれは間違いだったのだろう。 ぼくの言葉を理解した母は、とても傷ついた表情を浮かべていた。けれど、瞳を潤ませたまま「わかった」と頷き、それ以上なにも言わなかった。