窪田新之助氏、開高健ノンフィクション賞受賞『対馬の海に沈む』インタビュー 「犯罪の過程に思いを馳せられないような単純で無味乾燥な人間にはなりたくない」
怖いのは取材ができていないから
本書に特徴的なのは、そうした証言が淡々と綴られ、著者の思いや感情が削ぎ落とされた文体になっていることだ。事実の積み重ねによって見えてきたのは、「人間の寂しい姿」だった。 「どうしようもない生き物だなと。社会で生きていく中で皆、親から大事なことを教わったりしますよね。頭では分かっていても、それに反することをしてしまう。そうせざるを得ないほど人間って小さな存在だなと。そこに弱さや哀れさを感じてしまうのです」 だが、著者は自身にも問いかける。もしも、自分だったら欲に流されず、赤信号をみんなで渡る同調圧力に、「No」を突きつけられただろうか、と。 「幼稚園の時に、友達と一緒に駄菓子屋でアイスを5~6本盗んだのです。店主に見つかって親を呼び出されました。その時に問いただされ『2本』って少なく答えたんです。そういうのって誰でもありますよね。些細なことですが、それが時には取り返しのつかない大きな事態をも招いてしまうかもしれません」 世の中に純然たる悪人は存在するのか。西山は確かに、不正に手を染めてはいたが、一方で、腐敗したJAグループの構造に理性を失い、踊らされてもいた。 「犯罪者って本当に悪人なのかなと。そこに至るまでの過程には背景ややむに止まれぬ事情があったんだろうと。そこに思いを馳せられないような、単純で無味乾燥な人間にはなりたくないなと思っていました」 本書を読み進めて驚かされるのは、掲載された多くの登場人物がほとんど実名で描かれている点だ。当然のことながら、処分を受けていない人も含まれている。その理由について著者はこう力説する。 「記録として残さなくてはいけないと思いました。それに資料に基づいて書き、告発者である小宮さんは実名で出しているのに、それ以外の不正に加担している人を実名にしないのはアンフェア。本書で出さなければ、以降はずっと沈黙され続けてしまいます」 とはいえ実名で記すことを貫くのは、やはり相当の覚悟がいるだろう。 「怖いのは取材ができていないからだと思います。間違っていると反論させない取材はできていると踏んだので、実名にしました」 調査報道への著者の矜持、そして気迫が行間に滲み出ている一冊である。 【プロフィール】 窪田新之助(くぼた・しんのすけ)/1978年福岡県生まれ。明治大学文学部卒。2004年JAグループの日本農業新聞に入社。国内外で農政や農業生産の現場などを取材し、2012年よりフリー。2024年『対馬の海に沈む』で第22回開高健ノンフィクション賞を受賞。他著書に『データ農業が日本を救う』『農協の闇』、共著に『誰が農業を殺すのか』など。「覚悟はしていましたが、農業関連のイベントや講演会といった仕事には、最近まったく呼ばれなくなりました」。177cm、67kg、A型。 構成/水谷竹秀 ※週刊ポスト2025年1月3・10日号
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