「勤労感謝の日」となった今もかたちを変えて受け継がれる宮中祭祀「新嘗祭」…天皇陛下が神々と飲食を共にされ、実りに感謝
天皇陛下は毎年11月23日、新穀を神々にささげ、実りに感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」に臨まれる。皇居で年間60回以上行われる宮中祭祀(さいし)の中で、最も重要とされる行事だ。「勤労感謝の日」となった今も、かたちを変えながらその精神は受け継がれている。 【写真特集】天皇陛下の皇后さま、お二人の歩み
11月23日「勤労感謝の日」の由来
11月23日午後6時、皇居・宮中三殿の西側に位置する「神嘉殿(しんかでん)」。純白の絹製の装束「御祭服(ごさいふく)」を身にまとった陛下が中央部の母屋に入られると、装束姿の宮内庁職員たちが次々と「神饌(しんせん)」を運び入れていく。
神饌とは、全国各地の新米、粟(あわ)、干物、果物などのこと。陛下は竹製の箸でそれらを一つずつ柏(かしわ)の葉の皿に取り分け、1時間以上かけて神前に供えられる。
続いて、神々がいる「神座(しんざ)」に拝礼し、五穀豊穣(ほうじょう)に感謝して国の安寧を祈られる。さらに、神饌と同じ米と粟、酒を口にされる。陛下が神々と飲食を共にされるこの瞬間が、新嘗祭のクライマックスとされる。
神前の儀式は、灯明のあかりだけを頼りに非公開で行われる。「夕(よい)の儀」と「暁(あかつき)の儀」に分かれ、翌24日未明まで続く。陛下はこの間、ほぼ正座で臨まれ、「采女(うねめ)」と呼ばれる手伝いの女性2人以外は、陛下の側近も立ち会えない。
神話時代から 応仁の乱で一時中断
新嘗祭の歴史は古く、神話時代の古事記や日本書紀には、天照大神(あまてらすおおみかみ)が「新嘗」を行う記述が登場する。稲作が広まった弥生時代には、収穫を祝う祭儀が行われていた可能性がある。天皇が新嘗祭を執り行うかたちは、飛鳥時代の天武天皇の治世に制度化された。その後、室町時代の応仁の乱で中断したが、約300年後、江戸時代中期の桜町天皇(1720~50年)の時代に本格的に再興された。
国学院大の笹生衛教授(神道史)は「歴代天皇は新嘗祭で非礼や不都合があれば、国内でたたり(災害)が起こると、緊張感を持っていた。無事に行うことが、国を治める上で、最高のリスク管理だった」と語る。