「勤労感謝の日」となった今もかたちを変えて受け継がれる宮中祭祀「新嘗祭」…天皇陛下が神々と飲食を共にされ、実りに感謝
新嘗祭の日は1873年(明治6年)、法令で1年に8日設けられた祝祭日の一つとして、祭日になった。ほかの祭日も皇室の祭祀の日で、天皇中心の中央集権国家を目指す明治政府の意向が反映されたとみられる。
だが、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が宗教色の強い祝祭日の改廃を指示し、存続の危機に。日付を残し、名称だけを改めようと「新穀祭」や「新穀感謝の日」とする案もあった。
結局、1948年制定の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)で、11月23日は国民がみなで生産と働きに感謝し合う「勤労感謝の日」として残ることになった。
国民の祝日となって76年。各地では、働く人への感謝を示す様々な取り組みが広がる。
働く人ねぎらう
全国漁業協同組合連合会は、栄養価の高いカキで疲れを癒やしてほしいと「牡蠣(かき)の日」と制定。いずれもネギが特産の埼玉県深谷市や秋田県能代市は、「ねぎらい」の意味を込め、花束ならぬ「ねぎ束」を贈る運動を展開している。
家族やパートナーに感謝し、家事に共に取り組む機会にする「共家事の日」と定めたのは福井県。同県は共働きの割合が全国有数で、女性に偏りがちな家事の負担を減らす狙いという。
感謝の表し方は多様化する一方で、祝日の由来は忘れずにいたいもの。皇室の伝統文化に詳しい、京都産業大の所功名誉教授によると、人間に不可欠な食物を「たべもの」と言う語源は神々からの「賜り物」で、その考えを年中行事にしたのが新嘗祭だ。所氏は「自然がもたらす恵みに感謝する日にしてほしい」と話している。