【家族のかたち】「求められることが嫌で仕方なかった」離婚のきっかけを作ったのは母親で、離婚の原因を作ったのは父親だった~その1~
父の私物は少しずつ愛人宅に運ばれていた
父親の帰宅が遅くなったり、帰って来ないことが増えたのは、真帆さんが中学、高校の頃だった。思春期という父親との会話がほとんどない時期でもあり、真帆さんは父が家に帰って来ないことを特に気にしていなかった。その時期に両親の離婚話が出ていたことに、真帆さんは気づかなかったという。 「後に母親から、『あの頃に父から離婚したいと言われていた』と聞きました。父はたまに帰って来ていたんですが、そのときには家にある私物を少しずつ運んでいたみたいなんです。母は私の部屋で寝るようになってから、夫婦の部屋は父専用の部屋になっていたこともあって、私はその部屋に一切入らなかったので父の私物が少しずつ減っていることにまったく気づいていませんでした」 父の私物が運ばれていたのは、父の不倫相手の家。その事実を知ったのも真帆さんが大人になってからだった。 「父が帰って来なくなった理由について、私から母親に聞くことができませんでした。母も父のことなど元々いなかったように振舞うから、触れてはいけないんだと思っていました。父が私たちが暮らす家で生活しなくなったときには私はもう大学生で、親が絶対にいないといけない年齢でも、無邪気に親のことに踏み込む年齢でもなかったこともあって。 大学にも何の問題もなく行かせてもらえたし、私の苗字が変わることもなかったので、離婚はしていないんだろうなってことだけはわかりました」 両親が離婚するまで10年以上を要した理由とは。 【~その2~は関連記事から】 取材・文/ふじのあやこ 情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
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