「房総半島の人はトンネルを造るのが得意でしょ」現地を訪ねてわかった…千葉県に“世にも奇妙なトンネル”がつくられた“意外な歴史”
〈〈写真多数〉直角にカーブ、内部にはナゾの分岐…? 千葉県・房総半島の山中で発見した“あまりにも異様な素掘りトンネル”を探訪してみた〉 から続く 【画像】房総半島の山中に位置する“あまりに異様な素掘りトンネル”を探索!現地で撮影したナゾたっぷりな写真で一気に見る 素掘り、直角のカーブ、内部は分岐までしている……。千葉県、房総半島に造られた“世にも奇妙なトンネル”は、誰がなぜ、どのような目的で掘ったのだろうか。 地元の方に話を聞いてみると、想像もつかなかった経緯が見えてきた。 ◆◆◆ 君津市正木地区で昔から暮らしている佐藤利則さん(74歳)によると、あのお社は八雲神社ではなく“山王様(サンノウサマ:山王神社)”が正式な名称らしい。正木地区の集落内に八雲神社があり、かつては例祭の日にお神輿を担いで山王様まで行っていたため、八雲神社と混同されたのかもしれない。ちなみに八雲神社という名称の神社が全国にあるが、京都にある八坂神社を総本社とする祇園信仰の神社だ。 また、なぜあんな変わったトンネルになったのかも佐藤さんに聞いてみたところ、山王様の目の前に広がっている三島ダムのダム湖と関係があるようだ。
トンネル内部に分岐がつくられた理由
八雲神社では、毎年7月15日前後に“天王様”といわれるお祭りが今も行われている。以前はお神輿を担いて小糸川を越えて山王様まで行っていたが、昭和30年に三島ダムが完成したことで川はダム湖となり、行けなくなってしまった。それ以降、お神輿は正木地区内を練り歩いていたが、それも随分と前にやめてしまい、現在は神社からお神輿を出さず神事のみが執り行われているということだった。 三島ダムが完成したあとお神輿は行かなくなったとはいえ、参拝できなくなるのは困る。そのため、トンネルの中から山王様に行くルートを造ったのではないか、ということだった。ダムによって山王様に参拝できなくなるため、代替路として用意されたのが、あの内部で分岐するトンネルだったというわけだ。現在でも月に一度、正木地区の方が当番制で清掃に訪れているらしい。 また、佐藤さんは「ダムができるよりも前からトンネルがあったと思う」とおっしゃっていた。そちらも気になる。さっそく調べてみた。梅ノ木台2号隧道は、その位置と様態から、三島ダムの関連工事として造られたと思われる。君津市ではトンネルの完成年が分からないとの回答だったが、以前に千葉県が行った調査報告書には、梅ノ木台1号隧道及び2号隧道は、昭和20年建設との記載があった。三島ダムの完成は昭和30年なので、10年も前にトンネルが完成していたことになる。 三島ダムは干ばつに苦しむ地域の救世主として建設された農業専用ダムで、貯水量は521万トンに及ぶ。ダムの建設がスタートしたのは昭和18年。戦争によって工事中断を余儀なくされた期間もあり、完成までには12年を要した。 なお、ダムによって水没するなどして道路が機能しなくなる場合、付替道路が建設されるが、着工後早い段階で建設されることが多い。 昭和18年に三島ダム着工、同20年に梅ノ木台2号隧道が完成、同30年に三島ダムが完成しているので、時系列に矛盾はない。トンネルの完成からダムの完成まで10年も開いているため、「ダムよりも先にトンネルがあった」という印象になるのも頷ける。 ただ、佐藤さんとの話の中で、もう一つ気になることがあった。それは、梅ノ木台2号隧道とその内部で分岐して山王様へ向かうトンネルは、発注を受けた業者ではなく、ひょっとしたら地区の人たちが自分たちで掘ったものではないか、というのだ。ダムの関連工事とばかり思っていたが、言われてみれば通常の土木工事では考えられない変な構造をしている。ダムの付替道路ならば、こんな構造にするだろうか。 仮にトンネル本体はダムの関連工事だったとしても、山王様へと分岐する小さなトンネルは、住民の手によって後から掘られた可能性もある。 そんなことを考えていると、居ても立ってもいられず、ひと月も経たないうちに再び岐阜から千葉に向かっていた。
【関連記事】
- 【画像】房総半島の山中に位置する“あまりに異様な素掘りトンネル”を探索!現地で撮影したナゾたっぷりな写真で一気に見る
- 【つづきを読む】直角にカーブ、内部にはナゾの分岐が…? 千葉県、房総半島の山中で発見した“あまりにも異様な素掘りトンネル”を探ってみた
- ダムの上を通り抜ける「世にも珍しい酷道」…三重―大阪間を結ぶ名阪“じゃない”国道25号を走破してみた
- 路面はボロボロ、ガードレールは存在せず、ハンドル操作を誤れば川に転落してしまう…静岡-岐阜間に存在する“ヤバい国道”を走破してみた
- 「え? 掘られたんですか? あの隧道を?」現地住民への聞き込みで初めてわかった“世にも不思議な隧道”が建設された“納得のいきさつ”