有村藍里「“小さな夢を少しずつ叶えていく生き方”だっていい」“肩書き”がなくもがいた経験があるからこそ気づいたこと
やっと手に入れた「グラビアアイドル」という肩書き
こんにちは、有村藍里です。 春は出会いと別れの季節。4月からは新生活をスタートさせる人も多いのではないでしょうか。でも、中には自分が思っていた道に進めなかったり、動き出せない人もいると思います。今週は前回(関連リンク<有村藍里「高校卒業後の肩書きは“フリーター”」早く何者かにならないと、と焦っていたあの頃>参照)に引き続き、昔の私の話をしようと思います。 有村藍里「美容整形してから、5年。私が今思うこと」 高校卒業後、進学も就職もしなかった私の肩書きはフリーター。当時大阪の事務所に所属していましたが、東京でオーディションがあると聞けば、「もうなにがなにやら分からないけどとにかく挑戦だ!」と思い、東京へ行ってオーディションを繰り返し受けて……。その結果、グラビアアイドルデビューをしました。 海外での初撮影は本当に嬉しかったです。 「やっとグラビアアイドルという肩書きが出来た!」と喜んだのも束の間。 実力不足で雑誌にはなかなか載れない。表紙なんて夢のまた夢の話。 自分には何が出来るんだ? 変わりたいだけではこの世界で生き残っていけない。オーディションで何度も聞かれる質問「将来的にどうなりたいの?」「目標は?」……。数年間がむしゃらに走ってきたけど、背けていた現実を突きつけられるような気分でした。だって私にはその質問の答えがわからないから。 こんな気持ちのまま続けていたらだめだ。そう考えていた時に人生のターニングポイントだと思うことがありました。
「ファンの方々の応援のおかげで…」人生のターニングポイント
当時よく開催されていた、ファンの方の応援や投票でグランプリが決まるグラドルのコンテスト。飛び抜けた美貌やスタイル、特技がない私でも、もしかしたら……。 応援していてよかったと思われたい、私の持てる全ての実力をかけて「勝ちたい」という、初めての感情が湧きました。約1年にわたるコンテストでしたが生まれて初めてグランプリになれました。紛れもなくファンの方々の応援のおかげでした。 グラビアアイドルという肩書きに1つ称号が出来ました。それが嬉しくて嬉しくて。 また、当時のSNSはブログが主流で、ブログでの「いいね」の数を競うグラドル総選挙というコンテストもありました。期間内のいいね数の総合数が一番多い人は、原宿の大型ビジョンにも映る冠番組への出演権を得られるというものでした。 名だたるグラビアアイドルさんたちと並んでのコンテストだったので、私が普通にブログを更新しているだけでは絶対に勝てないとわかっていました。なので私は毎日たくさんのブログ記事を更新しました。とにかく更新量を増やすだけではなく、内容も考えて、きちんと文章を作って、写真も添えて。せっかくだからこのチャンスに少しでも自分のことを知ってもらおうと、出来る限りのことをしました。 結果、1位になれました。それもまた、紛れもなく応援し続けてくれたファンの方々のおかげです。 なかなか雑誌に載ることはできないけれど、とてもメジャーとは言えないけど、私はグラビアアイドルと名乗っても良いんだって思えました。