伊集院静氏ら成し遂げたのは3人だけ…「直木賞とレコード大賞」二冠を次に達成しそうな「意外な人物」
11月24日、作家・伊集院静が永眠した。享年73。 20代の頃はCMディレクターとして多忙な日々をすごしながら、「伊達歩」の筆名で『サマーチャンピオン』(浅野ゆう子)『イエ!イエ!お嬢さん』(榊原郁恵)『DO YOUR BEST』(ピンク・レディー)『感じてナイト』(レイジー)等々、アイドルを中心に作詞を手掛け、30代に入ると近藤真彦に提供した『ギンギラギンにさりげなく』が大ヒット。『情熱☆熱風☽せれなーで』『真夏の一秒』等、松本隆に次ぐシングル8曲を近藤真彦に提供しつつ、松任谷由実のコンサートの演出や、アルバムリリースにおけるブレーンとしても活動している。 【画像】か、可憐だ……! 「直木賞&レコ大」初の二冠に輝いた女性 筆者が「伊集院静」なる人物を知ったのは『とんねるずのオールナイトニッポン』である。番組内のフリートークで「伊集院さん」という名称が飛び交うようになったのは、’88年の元日にリリースされた、とんねるずのミニアルバム『御年賀』が全曲、彼の作詞だったことに由来する。 ’89年発表の『あの子のカーネーション』以降、40代は本格的に作家にシフト。『乳房』『機関車先生』など映像化した作品をはじめ、近年も『なぎさホテル』『大人の流儀』など話題作を次々と発表するなど、その地位を確立。広告、芸能、文壇と、ジャンルを軽々と超えて縦横無尽に遊泳した彼こそ“業界児”と呼ぶに相応しい八面六臂の活躍ぶりだった。 彼の死が一つの時代の終わりであることに論を俟たないが、実際、ある記録の最終保持者だったことはさほど語られない。歌謡界全盛期の’70~’80年代にかけて、世の作詞家の多くがその記録を秘かに、あるいは堂々と目指し、ある者は公言し、人生設計さえもにわかに変更させながら筆を走らせた。その記録こそ「直木賞&レコード大賞」の二冠である。 今でこそ、権威の失墜した印象の否めない「日本レコード大賞」だが、往年の作詞家にとっては「レコ大楽曲の作詞家になって一人前」と言われた時代があり、作詞家は歌手と作曲家と三人四脚でレコ大を目指した時代が間違いなくあった。それに加えて、直木賞を獲得することは文壇と芸能の二冠王、著述者としての超一流を意味した。前述の通り、作詞家としても活躍した伊集院静は、近藤真彦に提供した『愚か者』で’87年の日本レコード大賞を受賞し、’92年に上梓した『受け月』で’92年上半期の直木賞を獲得している。堂々の「二冠王」記録保持者だったのである。 この「二冠王」だが、これまで、伊集院静を含めて3人しか輩出していない。その狭き門を最初にくぐったのは、往年の銀座のクラブ「姫」のマダム・山口洋子となる。五木ひろしに提供した『夜空』で’73年の日本レコード大賞を受賞した彼女は、’80年代より小説にシフト。『プライベート・ライブ』で吉川英治文学賞新人賞を受賞し、『貢ぐ女』『弥次郎兵衛』と2度、直木賞候補になるもいずれも落選。3度目の正直となった『演歌の虫/老梅』で’85年上半期の直木賞を受賞、史上初めての二冠を成し遂げた。直木賞作家となったことで、この年、山口洋子は初めて紅白歌合戦の審査員にも選ばれている。彼女に続いて達成したのが伊集院静である。