峠に眠る日本最古の道路遺構 兵庫の「山陰街道」に残る「鐘ヶ坂隧道」とは
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道を紹介。バイクで日本を2周したこともある道マニア歴27年の松村真人さんが、京都・兵庫にある"明智光秀ゆかりの山陰街道"を巡りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します) ※許可を得て撮影しています。 【動画】日本最古のレンガ造りの隧道は【6分23秒~】
丹波国から西へ続く明智光秀ゆかりの「山陰街道」
室町時代から江戸時代にかけて、京都と他の地域を結ぶための街道が整備され、その出入り口は「京の七口(ななくち)」と呼ばれています。鞍馬口や大原口など"口"のつく地名や駅名は今も残されており、丹波口もその中の一つ。現在の京都府中部と兵庫県東部にあたる丹波国(たんばのくに)までを繋ぎ、その先は山陰地方まで道が伸びていたため、「山陰街道」と名付けられました。 かつては丹波国の亀山城(かめやまじょう)を拠点にしていた明智光秀が頻繁に使ったという重要な道で、現在に至るまで姿形を変えながら街道として生き続け、その道には深い歴史の痕跡が残っていると道マニアは言います。 国道9号は山陰街道を継承しており、京都市と亀岡市の市境近くに、昭和9年竣工の「老ノ坂(おいのさか)トンネル」が存在。 古くから山陰街道の難所だった老ノ坂峠を攻略するために老ノ坂トンネルが造られましたが、昭和41年により道幅が広い新しいトンネルがすぐ隣に完成。かつての老ノ坂トンネルは改修され、歩行者・自転車専用道路として使われています。 しかし、この2つの隣り合う老ノ坂トンネルは、二代目と三代目。国道9号のトンネルが造られた場所には、明治15年に造られた初代のトンネルがありました。初代は「松風洞(しょうふうどう)」、二代目は「和風洞(わふうどう)」という名が付けられ(現在は老ノ坂トンネルに改名)、その扁額は今も残されています。 また、老ノ坂トンネルの南側には、明治以前に使われていた旧山陰街道が存在。かつては老ノ坂峠が丹波国と山城国(現在の京都府南部)の境だったため関所があり、参勤交代で大名が利用するための宿や茶屋があったそう。 明智光秀も、丹波国から京都へ行く際は頻繁にこの峠を越え、本能寺へ攻め込む時も通ったと言われています。