気分はオリンピアン?夜のパリを駆け巡るぜいたくな時間。 五輪男女マラソンの合間に開かれた異例の市民ラン。参加した記者が感じたこと
オリンピックで盛り上がっていた8月のパリで、127の国・地域から約4万人が参加する市民マラソン大会が開かれた。会場はなんと、パリの名所を巡る五輪本番と同じルートだ。しかも開催は10日夜から11日未明にかけて。これはちょうど「10日の五輪男子マラソン終了」と「11日の女子マラソンスタート」の合間の時間帯に当てはまる。大会期間中に実際のコースを使うなんて、日本ではとても考えられない。 【写真】「銅を取ったのに挫折した」 伊藤美誠は泣きながら母に伝えた「卓球が嫌になった状態でやめたくない」 五輪選考レースが終わった今だから明かせる当時の思い
こんな二度とないだろう舞台に、五輪報道のために渡仏していた記者(39)が参加した。待っていたのは、特別な夜に、花の都を走るというぜいたくな時間だった。(共同通信=帯向琢磨) ▽10キロのコースに挑戦 「広く開かれた大会に」。パリ五輪の大会スローガンの象徴として行われたマラソン大会。ベルサイユ宮殿で折り返す42・195キロのフルマラソンと、市内中心部を巡る10キロのコースがあった。 記者は日頃ジョギングをしており、せっかくの機会と参加を決めたが、アップダウンが激しく過去最難関と言われるフルマラソンへの挑戦はためらわれた。市内の観光名所を見て回ることができる10キロのコースを選んだ。前日にエッフェル塔そばの会場でゼッケンを受け取る。ただ、当日は細かく参加者をチェックしている様子はなかった。 7月下旬から2週間以上に及んだ五輪取材の最終盤。記者は柔道や陸上が担当で、日本選手の活躍が途切れることはなかった。出稿に追われる日々。締め切り時間との闘いもあり、疲労はピークだった。
しかし、多くの参加者が待つ集合場所に到着すると高揚感が上回った。大会マスコット「フリージュ」の帽子をかぶった人や国旗のペイントを顔に塗った人。浴衣姿の日本人もいた。 スタート地点はライトアップされたパリ市庁舎。メダルセレモニーでおなじみの大会テーマ曲が流れ、カウントダウンが始まる。参加者のテンションは最高潮に。写真や動画を撮りながら走り出すと、沿道からは大きな声援が鳴り響いた。 ▽沿道から「アレー」の応援 「アレー(行け)」。競技場で地元フランス選手に向けられる声援が、今は自分にも向けられている―。そう思うだけでますます気持ちは高ぶった。他のランナーをまねて、自分も「アレー」と返す。沿道の人と次々にハイタッチ。コースの内外で一体感が生まれていた。 2キロ地点ではバンドの生演奏が披露され、思わずスマホのカメラを向けた。その後はオペラ座、バンドーム広場、ルーブル美術館と続く黄金ルート。名所の夜景を横目にセーヌ川沿いを走るのは、歩を進めるのが惜しくなるほどだった。チュイルリー公園に浮かび上がる聖火が見えると、コースの端の方で足を止めて写真撮影する人もいた。