「ご苦労がわかるわ」と話しかけた百合子さま、長年にわたり和装文化の「扇の要」に
三笠宮妃百合子さまの逝去を受け、ゆかりのある人たちからは、悼む声が上がった。 【写真特集】激動の1世紀を生きられた三笠宮妃百合子さま…三笠宮さまとのご婚礼写真も
元宮内庁長官で恩賜財団母子愛育会会長の羽毛田信吾さん(82)は、百合子さまが2010年に同会総裁を退いた後も、活動状況を気にかけていろいろな質問を寄せられたことを覚えている。「終戦直後から62年間、母子福祉の向上に尽くされてきた思いが伝わってきた」とふり返る。
01年から12年まで、宮内庁次長、同長官として、誕生日などでお祝いを伝えると、穏やかな笑顔で応じられた。02年に三男高円宮さま、12年に長男寛仁(ともひと)さま、14年に次男桂宮さまと相次いで逝去したが、「悲しみを表に出さず、普段通りに振る舞われたことが印象に残っている」と明かし、80年余りの皇族妃としての貢献に対し、深い謝意を口にした。
百合子さまは2010年までの31年間、和装文化の普及・啓発に取り組む「民族衣裳(いしょう)文化普及協会」の名誉総裁を務められた。
百合子さまは毎年、協会の功労者の表彰式に出席された。同協会の水島博子さん(85)によると、染め職人の藍色に染まった手元を見て「ご苦労がわかるわ」と話しかけるなど、受賞者一人ひとりに優しく声をかけられていたという。「着物に関する幅広い知識を持ち、我々にとって『扇の要』のような存在でした」としのんだ。
名誉総裁退任後も交流を続けてきた水島さん。皇室の伝統的な習慣に驚きつつも、正月の食卓に家庭で出される品を加えられたという話が印象に残っているという。「激動の時代にも、家庭的な部分を大事にしながら5人のお子さまを育てられた。お声はいつまでも若々しくシャキッとしていらして、誰もが魅せられる方でした」としのんだ。
22年末に出版された三笠宮さまの伝記の編さんに携わった政治経済研究所研究員の舟橋正真さん(42)は21年、百合子さまの孫の彬子(あきこ)さまらと一緒に百合子さまに計11回のインタビューを行った。