日本サッカー協会・宮本恒靖会長 「スポーツと勉強、どうしたら両立できるのか」
大学では経済学を学ぶ
――その結果、同志社大学に合格して、入学とほぼ同時期にガンバ大阪でプロ選手としての活動も開始しました。経済学部を選んだのは、なぜですか。 経済学は日々の生活や社会活動に身近な学問なので、すごく興味がありました。実際、授業は面白かったです。労働経済学のゼミでは、時間がたっぷりある学生にとっての1時間と、たくさんの仕事を抱えているビジネスパーソンにとっての1時間では価値が違う、なんていうことも勉強しました。 ――プロとして活躍する機会が増えると、うれしい半面、「大学を卒業できないんじゃないか」と不安にはなりませんでしたか。 確かに、プロサッカー選手として練習や試合に出る時間は徐々に増えていきましたが、卒業できないんじゃないかとか、卒業できなくてもいいといったことは、一度も考えませんでした。 実は、高校卒業のタイミングで海外遠征に行った時、ある人から「大学に行きながらJリーグでやろうとしているらしいけど、そんなの無理に決まっている」と言われたんです。自分自身は、初めからサッカーも学業も当然両立するつもりでしたが、その言葉がさらなる発奮材料になりました。 ――そうして5年半かけて大学を卒業したのですね。 4年生が終わった時点で16単位残っていて、そのうち12単位を5年目で、4単位を6年目で取得しました。最後4単位残したために6年目に突入したのはちょっともったいなかったですけど(笑)。大学生活を通してみれば、経済学という自分が興味を持った分野を学べたことはよかったですし、引退後のFIFAマスター(国際サッカー連盟〈FIFA〉が運営する大学院)への進学にもつながったのかな、というのはありますね。
日本を外から眺めることが大切
――FIFAマスターでは、どのようなことを学びましたか。 約1年間かけて、スポーツの歴史とスポーツの経営学、法学を学びました。歴史はイギリスのレスター、経営学はイタリアのミラノ、法学はスイスのヌーシャテルと、約3カ月ごとに校舎を移動するので、いろいろな国で生活できたのはよかったのですが、毎回、家探しをするのが予想以上に大変でした。 ――世界各国から来た人と机を並べて過ごした時間は、密度が濃かったですか。 17年間の現役生活で、サッカー選手としてはいろいろ見てきましたが、その後の人生の長さを考えた時に、もっといろいろなことを学んでおいたほうがいいと思っていたので、そういう意味でも貴重な経験ができました。 そもそも、日本を出て海外に行くこと自体が、すごく意味のあることだと思っています。自分の国を外から眺めると、物事を違った角度からとらえられるようになるし、視野を広げることにもつながります。それに、外国語を使って海外の人たちと仲良くなるのは、サッカーで友達をつくるのと似ているんです。間に入るのが言葉なのかボールなのかという違いはありますが、日本語を介さないコミュニケーションという点では同じ。いろいろな国の人と直接話せたことは、純粋に楽しい経験でしたし、刺激ももらいました。若い人たちには、日本で生きることを当たり前とせず、ぜひ海外に出てみてほしいですね。
プロフィール
宮本恒靖(みやもと・つねやす)/日本サッカー協会会長。1977年、大阪府生まれ。進学校の大阪府立生野高校を卒業後、同志社大学経済学部に進学するとともに、ガンバ大阪でJリーガーとしてのキャリアをスタート。日本代表選手としてシドニー五輪、AFCアジアカップなどに出場し、2006年開催のFIFAワールドカップドイツ大会では、キャプテンを務めた。11年に現役を引退し、13年、FIFAが主催する大学院、FIFAマスターを修了。18年、ガンバ大阪監督に就任。22年から日本サッカー協会の理事などを務め、24年3月から会長。妻と大学生の息子、高校生の娘の4人家族。
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