まだあるヒマラヤ未踏峰…日本の大学生だけで6524m峰プンギ初登頂「宇宙が露出しているよう」
山頂アタックを朝焼けが迎える
氷の裂け目を前に立ちすくんでいるうち、太陽はヒマラヤの峰々の向こうに沈んだ。テントを張りつつ、ライトを照らしてルートを探す。気温がぐんぐん下がる中で、亀裂に架かる氷の橋が見えた。翌朝、ロープで体を確保しながら突破した。しかし、高山病と疲労でふらふらになった5人に山頂を目指す力は残されていなかった。山麓のベースキャンプ(標高4700メートル)に戻るしかなかった。
3日間休息し、10月10日、再び登攀を開始。テント泊を繰り返し、高度を上げていく。高山病で頭痛は治まらず、食欲もわかない。だがテントから見上げた夜空には、無数の星がくっきりと輝いていた。山頂にアタックする朝、朝焼けが迎えてくれた。
10月12日午後0時19分、登頂に成功。5人そろって歓声を上げた。だが、歓喜はすぐ不安に変わった。頭上の空は、まるで宇宙が露出しているかのように青黒かった。どんな山奥でも目にするゴミも一切ない。「命を全く感じない空間だった。とんでもないところに来てしまった」。井之上さんはそう思った。山頂には10分も滞在せず下山した。
ベースキャンプにたどり着いたのは翌日。「無事に帰ってくるまでが登山だと思っていた。もう死ぬことはない」と全身の力が抜けた。
5人は今月、帰国し、日本の土を踏みしめた。井之上さんは「インターネットに情報が出ていない場所に踏み込む登山がしたいと思っていた。大学の4年間、夢を抱きながら雪山に入り続けた経験が生きた」と笑顔で話した。
「学生だけで成功は偉業」
遠征隊を日本国内から支援した日本山岳会の平川陽一郎常務理事(66)は「現役の学生だけで成功したことが何よりの偉業だ」と感心する。
海外遠征は、山を探すところから許可を得るまで複雑な手続きが続く。食料や装備の量を緻密(ちみつ)に計算し、現地に送り込む手間もかかる。大学山岳部OBが主体となることが多いが、プンギ遠征隊は現役の学生だけで手際良く進めた。
高所登山では、低酸素の環境に体を慣らすことが難しい。富士山の山小屋で働きながら克服した発想にも、「学生らしさがあふれている」と脱帽した。
平川さんは「メンバーは訓練などで意識的に一緒に過ごす時間を増やした。ルートに関する情報がない中では、仲間の意見を尊重し、『どうすればできるか』と考え続けることが必要。登頂できたのは団結力のたまものだ」とたたえた。