風間杜夫「引っ込み思案を直すため児童劇団へ。米倉斉加年さんの〈将来役者になるつもりなら、劇団はやめて学校で勉強しなさい〉の言葉に、中学で退団し」
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第26回は俳優の風間杜夫さん。内気で恥ずかしがり屋だったという風間さん。引っ込み思案が直るようにと、児童劇団に入ることになったそうで――。(撮影=岡本隆史) 【写真】劇団に入った7~8歳頃の風間さん * * * * * * * ◆引っ込み思案が直るかなと 風間杜夫さんほど芸域の広い俳優を他に知らない。まず名子役。長じて舞台俳優。それも多岐にわたり、つかこうへい、唐十郎からアーサー・ミラー、森本薫、有吉佐和子作品など。 映画、テレビドラマで活躍したと思えば、次は一人芝居。そして噺家としてもちゃんと高座がつとまるプロ級。近頃は何とミュージカルにまでレパートリーを広げて……。 そんな風間さんも、子供の頃は内気で恥ずかしがり屋だったという。 ――そうです。僕は東京・世田谷の上馬の生まれ。後でお袋から聞いた話では、僕の友達のお母さんが、「お宅の息子さん、児童劇団とかに入れたら引っ込み思案が直るんじゃない?」って。 お袋も同感したらしくて、小学校2年の時に、「東童」という日本で一番古い児童劇団に入れられたんです。ここは大人の俳優もたくさんいるんですけどね。 後から聞いたんですけど、小林旭さんも子供の頃にそこにいたんですって。
それで僕は割と可愛い顔をしてたもんだからすぐに売れて(笑)、翌年、「東映児童演劇研修所」に一期生として入所してからは、東映の映画にもよく出ました。 『江戸の悪太郎』っていう作品では、僕は長屋で母一人子一人で暮らしてる役で、隣で傘張りの内職をしている浪人が大友柳太朗さん。そのうち母親が悪い奴に手籠めにされて、殺されちゃうんですね。その仇討ちの助太刀をしてくれるのが大友先生で、斬られるのは俳優座の名優、三島雅夫さんでした。 大友先生にはものすごく可愛がられて、京都の御室にあったお屋敷に、歯ブラシとパジャマだけ持ってよく泊まりに行ってました。 先生の一人息子さんは僕の一個上なんだけど、彼の部屋中にレールが敷いてあって、模型の電車が走ってる。すげえな、と思いましたね。そのうち僕を、「この子を養子に」って話になったらしい。 だけど、その後、僕が30歳の時にテレビで大友先生と親子の役で再会したら、そのことは何も覚えていらっしゃらなかった(笑)。 だからまぁ、今もこうして役者を続けているということは、子供の時にお袋が児童劇団に無理やり入れたことが、第1の転機と言えるでしょうね。
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