国連開発計画(UNDP)東京事務所長が発した「ガザの復興支援」のメッセージが、「いまは」不適切だと言えるワケ
国連開発計画(UNDP)東京事務所長(駐日代表)が、ガザの人道支援から「早期復興」への円滑な移行なるものについて、メッセージを発している。 【マンガ】バイデンよ、ただで済むと思うな…プーチン「最後の逆襲」が始まった ---------- クエートで開催された第9回パートナーシップ会議で #ガザ における人道支援から早期復興への重要な移行について議論。 誰一人取り残さないように。 野口ちとせUNDPパレスチナ支援プログラム副代表が登壇しました。 #人間の安全保障 @ODA_mofa_japan @SDGs_MOFA_JAPAN @UNDPArabStates ---------- 特に日本は、戦争と平和に関わることでは貢献できないので、戦後復興における社会経済活動で貢献すべきだ、という声を聞くこともある。 私は、このような風潮を、警戒している。 ガザの人々には今、人道援助は必要だ。だが次に戦争の終了、そして政治解決が必要だ。現場の現実を無視して、勝手に援助計画だけを作成してみても、百害あって一利なしである。 なぜ、今ガザの復興支援を語ることを、私は、不適切だと思うのか。以下、三つの理由を述べてみたい。
ガザの「復興支援」を今語ることは倫理的ではない
今「復興支援」を語ることが不適切である一つ目の理由は、倫理的な妥当性だ。今はイスラエルによる苛烈な軍事攻撃が続いている。焦眉の課題は、市民に甚大な被害を出している軍事攻撃を止めることだ。現在進行形で人々が殺され続けている。ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)違反の疑いで国際司法裁判所(ICJ)が仮保全措置命令が出された。国連安全保障理事会や総会で停戦の決議が採択された。それでも全く終わりが見えない形で続いている軍事攻撃だ。 それにもかかわらず、軍事行動がいつ終わるのかは知らないし、それまでに何人殺されるかも知らないが、それを考えるのは私の責任ではないので、戦争が終わったらどれくらいのお金が使えるのかの計算を始めておきたい、とみえるような態度を公にするのは、適切ではない。 われわれは皆、どうやったら軍事行動を止めることができるのかを全精力を注いで考え、最大限の努力で意味のある行動をとっていくべき状況にある。その国際社会の一員としての責務を放棄して、イスラエルの軍事行動を台風か地震のようにとらえ、やがて終わるだろうから、終わった後のお金の使い方の計画を今から始めておこうというのは、倫理的に全く不適切である。 イスラエルの軍事行動がいつ終わるのかという面倒な話はなしにして、戦争が終わったらどれくらいのお金が使えるのかという楽しい話をしようというふうにみえる態度で、快適な会議室で今のガザの状況から乖離した計画の話をし続ける会議の様子を、もしガザの人たちが見たら、いったいどういう気持ちになるだろうか。私なら、そんな会議には、恥ずかしくて出席することができない。 当事者に見せられないような会議は、倫理的ではない。