橋幸夫「80歳での引退宣言をたった1年で撤回した理由。《復帰》ではなく《謝罪》会見。引退を決意した時に忘れていた、とても大事なこと」
◆「また歌いたい」と思った ところが、引退撤回のもう一つのきっかけを作ったのも、妻だったんです。車の運転中はいつも、妻が音楽の選曲をしています。引退以前は常に僕の曲をかけていたのだけど、引退後は気を使ってくれて、クラシックなんかを聴いていました。 引退して半年くらい経った頃かな。久しぶりに僕の歌がかかったんです。スマートスピーカーに、「アレクサ、橋幸夫の曲を流して」と頼んだとかで、延々と僕の歌が流れてくる。何せ僕の歌は数百曲もあるから(笑)。 妻は、そのうち僕が「もう消してくれ」と言うかなと思っていたらしいのですが、僕は黙って、じーっと聴いていた。そして、「……いい曲だな」と言ってしまった。(笑) 最近歌っていなかった昔の曲のなかには、こんなのあったかなと思うほどいい歌がたくさんあることに改めて気がついたんです。現役で歌っているときとは違って、引退したからこそ客観的に感じるところがあったんでしょう。正直に、「また歌いたい」と思いました。
そのときに、考えたんです。歌の力って、すごいなと。僕のような歌手にとってだけじゃなく、聴いてくれる人にとって、そして歌作りに携わる人にとっても同じです。 一つの歌が世に出るまでには、作詞・作曲の先生が、一生懸命に作品を作ってくださって、それをレコーディングして、レコード会社の皆さんと一緒に頭を悩ませながらレコード(CD)を完成させます。一曲一曲にものすごく強い思いが込められているんです。 そしてファンの方がまた、その曲を大事に受け取って、コンサート会場では目を輝かせて応援してくれる。そんなことを何十年もやってきていたのに、今になってそのありがたさを実感しました。 だから、僕の意思だけで勝手にポンッと辞めるなんてことは、やっぱりよくない。口幅ったい言い方ですが、いわゆるスターと呼ばれる人間は、自分勝手に行動してはいけない職業なんですね。 今回、歌うことが僕の使命だと悟りました。これからは声が出なくなるまで歌わせていただきたい。すいぶん反省もしました。だから引退撤回の発表は、《復帰》会見ではなく、《謝罪》会見としたのです。 (構成=中嶌直子、撮影=木村直軌)
橋幸夫
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